「石那坂の戦い」の版間の差分

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[[ファイル:石那坂古戦場碑.jpg|thumb|right|石那坂古戦場碑]]
[[福島市]]平石の[[東北本線]]上り線の石名坂トンネル付近に石那坂古戦場碑が建てられているが、これは、明治時代にこの辺りから刀剣や甲などが出土したため、この辺りを石那坂古戦場と勘違いした土地の有力者が建設したのである。出土した刀剣や甲は古墳時代のものとわかり、また碑のあるあたりも[[古墳]]であることが後年判明した。したがって、古戦場跡が碑のある辺りだとは断定できない。ただ、前述したトンネルの名前からもわかるように石名坂という地名や頼朝軍が通ったであろう奥州街道(奥大道)の位置関係から見て、福島市南部にあったと思われる。
 
 
 
== 戦後 ==