「日下武史」の版間の差分

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== 来歴・人物 ==
2年遅れで[[慶応義塾普通部]]に入学、老け顔だったため「御仏」(ぎょぶつ)と渾名された<ref name="ぎょぶつ">http://www5b.biglobe.ne.jp/~wagamama/kusaka.htm</ref>。[[慶應義塾高等学校]]在学中に[[浅利慶太]]と出会い、[[劇作家]]の[[加藤道夫]]に師事したことが機縁となって[[演劇]]の道を志す。実際の演劇活動は[[慶應義塾大学]][[文学部]]仏文科在学中からである。[[1953年]]、経済的理由もあって慶應大学を2年で中退し<ref name="ぎょぶつ" />、同じ仏文科の浅利慶太、[[水島弘]]、[[藤野節子]]、[[井関一]]らと劇団四季を結成する。旗揚げ公演は、翌[[1954年]]1月の[[ジャン・アヌイ]]作『アルデールまたは聖女』である。これ以後、劇団四季の主要メンバーとして第一線で活躍している。
 
映画出演は少ないが、舞台で培った計算された演技と韜晦した雰囲気、その中に時折見せる存在感、知性などでバイプレイヤーとして活躍している。