「慈恩寺 (寒河江市)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 誤謬修正
26行目:
}}
}}
'''慈恩寺'''(じおんじ)は、[[山形県]][[寒河江市]]にある仏教寺院で現在は慈恩宗の本山。[[山号]]は瑞宝山。本尊は[[弥勒菩薩]]で脇侍として地蔵菩薩、釈迦如来、不動明王と降三世明王を配する国内でも珍しい五尊形式である。[[宗教法人]]としての登録名は「本山慈恩寺」。
 
== 概要 ==
[[行基]]によって見いだされ、聖武天皇の勅によって創建したとされる。その後、[[鳥羽天皇]]の勅で再建され[[後白河天皇|後白河法皇]]と[[源頼朝]]によって[[山号]]を与えられた。[[平安時代]]は[[荘園]]主である[[藤原北家|藤原]][[摂関家]]から、[[鎌倉時代]]から[[室町時代]]にかけては[[地頭]]・[[寒河江氏|寒河江大江氏]]の庇護を受け、寒河江大江氏が滅ぶと[[最上氏]]や[[江戸幕府]]によって寺領を認められた。
 
[[江戸時代]]には[[東北地方|東北]]随一の[[朱印地・黒印地|御朱印地]]を有し、院坊の数は3ヵ院48坊に達した。[[修験]]による[[祈願所|祈願寺]]として御朱印地を拝領していたため[[檀家制度|檀家]]を持たず、[[明治]]の[[上知令]]により一山は困窮し帰農する坊が続出した。現在は3ヵ院17坊を伝える。
 
創建当初本尊は[[弥勒菩薩を[[本尊]]で脇侍として地蔵菩薩釈迦如来、不動明王と降三世明王を配する国内でも珍しい五尊形式である。創建当初[[八幡神|八幡大菩薩]]を鎮守として祭っていたが、時代の変化とともに[[法相宗]]、[[真言宗]]、[[天台宗]]を取り入れ、現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院として慈恩宗を称する。
 
境内地は周囲の中世城館群や行場などとともに2014年10月に国の[[史跡]]に指定された。