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'''ポール・デルヴォー'''(Paul Delvaux、[[1897年]][[9月23日]] - [[1994年]][[7月20日]])は、[[ベルギー]]・[[リエージュ州]]生まれの[[画家]]。
 
[[16世紀]]のマニエリスト達が描いたような女性像や、独自の夢とノスタルジーの世界を築く。作品の中では、無表情で大きな目を見開き、陰毛をあらわにした裸の女性たち、駅、電車、骸骨、拡大鏡で何かを観察している学者などが題材としてくり返し描かれ、背景には石畳の道や線路などが透視図法を用いて描かれることが多く、[[古代ギリシャ]]の[[神殿]]のような建物の遺跡がよく用いられる。静寂さの中に幻想的な世界が広がるその作風によって、「幻想画家」という形容もなされる。[[1935年]]以後、運動には直接参加しないまま[[シュルレアリスム]]展にしばしば出品。長く[[ブリュッセル]]に住んだが、1994年に没す
 
[[Image:Museum Paul Delvaux.JPG|thumb|right|ポール・デルヴォー美術館]]
ベルギー北西部のリゾート地KoksijdeのSint-Idesbaldには彼の主要作品を多く所有する[[ポール・デルヴォー美術館]][http://www.koksijde.be/nl/musea/paul_delvauxmuseum/]がある。[[愛知県美術館]]には代表作「こだま」([[1943年]])が収蔵されている。
==生い立ち==
1897年9月23日、ベルギー・リエージュ州ユイ近郊の村アンテイトで父ジャン、母ロールの第1子として生まれる。父は[[ブリュッセル]]の弁護士で、母はアンテイトの穀物商の娘であった。二人は前年の10月に結婚した。1910年ブリュッセルのサン・ジル高等学校に入学。そこでギリシャ・ラテンの個展を学ぶ。ホメロスの「オデュッセイア」を熱心に読み、教科書の余白などに神話を題材にした戦いの場面や神殿などをデッサンした。1920年にブリュッセルの王立美術学校に入学。[[1935年]]以後、運動には直接参加しないまま[[シュルレアリスム]]展にしばしば出品した。1950年に母校の美術学校の教授、1965年には校長となる。長くブリュッセルに住んだが、1994年に老衰により死去した。
 
== 日本にあるデルヴォー作品<ref>週刊朝日百科 『日本の美術館を楽しむNo.39 [[神戸市立博物館]]』 [[朝日新聞社]]、2005年、21頁より</ref> ==