「第4アウト」の版間の差分

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m →‎ルールブックの盲点の1点: 予選大会の単体記事にリンク
→‎ドカベンで描かれたエピソード: 記述を整理。また「チェンジ」という用語の宣告は、野球の審判員は行わない。3つ目の「アウト」を宣告するのみです。
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# 微笑はスクイズプレイを試みるが、投手前への小フライとなってしまう。白新の投手・不知火がこれを飛びついて捕球、微笑がアウト(第2アウト)。
# スタートを切っていた三塁走者・[[岩鬼正美]]はそのまま走り続け、リタッチしないまま本塁に滑り込む。
# 一塁走者の[[山田太郎 (ドカベン)|山田太郎]]は大きく離塁しており、不知火は迷わず一塁へ送球。一塁手が一塁に触球し、山田がアウト(第3アウト)。ダブルプレイが成立。主審により「[[スリーアウトチェンジ|スリーアウト]]」が宣告される。このとき、岩鬼は本塁上にとどまって
# 第3アウトが宣告されたので、白新高校ナインは全員ベンチに引き上げた。
# 岩鬼が明訓高校ベンチへ戻り、明訓に1点追加。
 
第2アウトの微笑のスクイズ失敗の小フライはバントの体勢からの飛球であるため、[[インフィールドフライ]]は宣告されない。不知火の捕球による通常のアウトである。この時点で山田と岩鬼はアウトになっていない。
 
第3アウトは不知火が一に送球して、帰塁できなかった山田を1塁へ送球した時に成立、「スリーアウト」が宣告されるにして成立。しかしこの時点で「チェンジ」は宣告されておらず、'''本塁上の岩鬼はアウトになっていない'''。
 
微笑の小フライを捕球してからはフォースアウトではないため、第3アウト成立以前に成立した得点は有効である。岩鬼は第3アウト成立前に本塁に到達しており、この走塁による得点は認められる<ref>公認野球規則5.08。ただし、作中ではこのあたりのルールについてあまり明示的な説明がない。</ref>。ただし、岩鬼は三塁へのリタッチを行っていないため、白新高校側は第3アウト成立後であっても審判員に対して岩鬼の離塁が早かったことを[[アピールプレイ|アピール]]し、岩鬼をアピールアウトにして第3アウトの置き換えを行うことで岩鬼の得点を無効にすることができた。仮にこのアピールプレイを行った場合、帰塁違反により岩鬼がアウトになり得点も無効となる
 
岩鬼の得点が認められていることに気付かなかった白新高校ナインはアピールプレイを行わず、「チェンジ」が宣告される前に野手全員がファウルラインを越えた時点でその権利を喪失した<ref>作中では、明訓高校の[[土井垣将]]監督がこのプレイを解説する形をとり、解説の締めくくりに公認野球規則7.10(当時。現5.09(c))の本文が示されている。<br>
アニメでは、近所の知人たちとテレビで試合を観戦していた山田の祖父が説明する。</ref>。この時に岩鬼の得点はそのまま認められ、明訓高校に1点が入った。
 
なお、試合はこの1点を守った明訓高校が1-0で勝利した。
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=== 現実に起こった事例 ===
==== 1982年、東海大甲府高校 対 境高校 ====
[[1982年]]に開催された[[第64回全国高等学校野球選手権大会]]の1回戦・[[東海大学付属甲府高等学校|東海大甲府高校]]([[山梨県|山梨]])対[[鳥取県立境高等学校|境高校]]([[鳥取県|鳥取]])戦の4回裏、境高校の攻撃。一死満塁の場面から打者が[[スクイズプレイ|スクイズ]]を試みたが、これが小フライとなり、った。この打球を一塁手が捕球(第2アウト)し、ゆっくりと一塁を踏み、飛び出していた一塁走者がアウト(第3アウト)になった。しかし、その前に三塁を飛び出していた走者が本塁に滑り込んでいた。東海大甲府高校側から三塁走者の離塁についてのアピールが行われなかったので、この場合、境高校に1点が入るはずだが、このとき境高校の得点は記録されなかった。記者席では「このケースは境高校に先制点が入るはず」と一時騒然となり、試合後球審に質問したところ、球審は「一塁のアウトのほうが早かった」と答えたと伝えられている<ref>[[1982年]][[8月12日]][[日本海新聞]]</ref><ref>[[週刊ベースボール]]増刊号'82夏の甲子園総集編</ref>。
* [[2008年]]夏の[[全国高等学校野球選手権福岡大会|福岡予選]]でも同様のプレイが発生し、こちらは得点が入るとの裁定が行われた。