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'''藤浪 剛一'''(ふじなみ ごういち、[[1880年]][[6月7日]] - [[1942年]][[11月29日]])は、日本の[[医学者]]、本邦初期の[[放射線医学|放射線科医]]。1920年から[[慶應義塾大学]]の教授を務めた。父は医師の[[藤浪万得]]、兄は[[病理学者]]の[[藤浪鑑]]。妻は[[青鞜社]]発起人の一人でもある[[小説家]]の[[物集和子]]。
 
[[愛知県]][[名古屋市]]出身。[[岡山医科大学 (旧制)|岡山医学専門学校]]卒業後、同校の病理学教室に入る。1908年より[[ウィーン大学]]に留学し、[[X線撮影|レントゲン]]学を学ぶ。1912年に帰国して[[順天堂大学医学部附属順天堂医院|順天堂医院]]レントゲン科長となり、1920年からは[[慶應義塾大学]]の教授を務めた。
[[X線撮影|レントゲン]]学の第一人者で[[温泉]]学・[[医学史]]の分野においても数多くの業績を残している。
 
[[X線撮影|レントゲン]]学の第一人者で[[温泉]]学・[[医学史]]の分野においても数多くの業績を残している。
 
== 主な著作 ==
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[[Category:日本の放射線科医]]
[[Category:慶應義塾大学の教員]]
[[Category:愛知県岡山大学出身の人物]]
[[Category:名古屋市出身の人物]]
[[Category:1880年生]]
[[Category:1942年没]]