「朝鮮語の正書法」の版間の差分

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竹庵 (会話 | 投稿記録)
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== 歴史 ==
=== 前近代 ===
朝鮮語は1446年に[[訓民正音]]が頒布されることにより、初めて明示的に表記されるようになった。この当時は現代的な意味での正書法がいまだ確立されていなかったので、表記法は慣習的に行われた。しかしながら、訓民正音解例において終声の表記に関して、現実の発音通りに{{lang|ko|ㄱ}}、{{lang|ko|ㆁ}}、{{lang|ko|ㄷ}}、{{lang|ko|ㄴ}}、{{lang|ko|ㅂ}}、{{lang|ko|ㅁ}}、{{lang|ko|ㅅ}}、{{lang|ko|ㄹ}}の8つで事足りるとしたのを見ても分かるように、概して表音主義的な表記法がとられた。'''表音主義'''的表記法とは、朝鮮語を発音通りにハングルで綴る表記法である。それに対して現代の正書法は、個々の[[形態素]]を明示して綴るので'''形態主義'''的表記法と呼ばれる。例えば、{{ipa|nopʰa}}(高く)は現代の正書法では語幹と語尾をそれぞれ明らかにして「{{lang|ko|높아}}」と綴ることになっているが、当時は発音通りに「{{lang|ko|노파}}」と綴った。このような表記方法を「連綴」と呼ぶ。ただし、訓民正音創製直後の文献である『[[飛御天歌]]』(1447年)と『月印千江之曲』(1447年)は、一部に現代の正書法に類する形態主義的な表記法が採用されている。これは著者の中にハングルを作成するのに関与した学者が含まれているために言語学的知識を生かした表記が出来たこと、そしてこの二つの書物はいわば表記法の『お手本』として作られたためである。
 
16世紀に入ると、語幹と語尾を分離した表記が多く見られるようになる。例えば、「体が」を表す {{IPA|momi}} は15世紀には「{{lang|ko|모미}}」のような連綴がほとんどであったが、16世紀以降は「{{lang|ko|몸이}}」のような綴りが多くなる。このように語幹と語尾を完全に分離した表記は「分綴」と呼ばれる。また、前掲の {{ipa|nopʰa}}(高く)などは、「{{lang|ko|놉파}}」のように子音を発音通りに表記しつつも終声を同時に表記する二重表記法である「重綴」も多く見られる。濃音の表記は、始めは{{lang|ko|ㅅ}}を用いた{{lang|ko|ㅺ}}、{{lang|ko|ㅼ}}や{{lang|ko|ㅂ}}を用いた{{lang|ko|ㅲ}}、{{lang|ko|ㅳ}}などが混在していたが、次第に{{lang|ko|ㅅ}}を用いた表記に統合されていった。15世紀に{{IPA|ʌ}}を表した母音字母「{{lang|ko|ㆍ}}」は、{{IPA|ʌ}}が朝鮮語の音韻体系から消滅した後も慣習的に用いられる事があった。