「Wikipedia:削除依頼/ダルメーターを始めとするソックパペット群によって粗製濫造された記事群1」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Chiba ryo (会話 | 投稿記録)
補足
38行目:
* {{AFD|一部}}または{{AFD|全削除}} いずれの記事初版にもBoxRec.comしか提示されていないにもかかわらず、BoxRec.comの英語表記の忠実な読み下しにもなっておらず、実のところ何を参考にしているのかは不明です。日本語で文章化する際に、調査が全くなされていないか不十分であり、選手名は架空の人物のごとく表記されています。韓国人名はなかなか呼び出しにくそうな文字がたくさん使われており、機械翻訳か何かのおそれもあります。[[WP:DP#E]]のうち、「独自の研究結果の発表」または「完全に異質な記事」として上記記事の削除を支持します。ソックパペット群による500を超える作成記事の内容の精査が追いつかない状況ですので、削除に至らなかった場合も、内容の大幅削減は必要であり、削減した後には{{tlx|即時削除|記事1}}や{{tlx|即時削除|記事2}}の対象となる可能性があります。その意味でこの場での全削除にも反対せず、むしろ望ましいと考えます。--[[利用者:Ak from the villa|ak from the villa]] 2016年12月1日 (木) 14:52 (UTC)
*{{コメント}} 記事名も含めて、虚偽の内容であれば全削除だと思うのですが、記事名(選手名)は正しくて、中身が信用できないということであれば、版指定削除または編集対応でもよい気がします。例えば[[テオン・ケネディ]]は[[:en:Teon Kennedy]]の導入文を見ると似たような記述があり、虚偽記事ではないでしょう。中身を編集対応で記述抹消した場合、定義文しか残らなくなって、これも削除してほうがよいと仰るなら同意はしますが、そうでないならば版指定削除依頼または編集対応できるところから始めませんか。--[[利用者:Chiba ryo|Chiba ryo]]([[利用者‐会話:Chiba ryo|会話]]) 2016年12月1日 (木) 23:41 (UTC)
*{{コメント}} 削除議論の間に記事を改善できればいいのですが、特に上述の東洋人選手の記事については簡単に改善できないと考える理由を補足しておきます。
:まず、その東洋人選手について。今回削除対象となっている東洋人選手はいずれも1980年代のIBF世界王者ですが、[[日本ボクシングコミッション事件#1国1コミッション制と独占禁止法]]の説明通り、当時は日本ボクシングコミッションが報道を規制していたため、IBFの世界戦・世界王者は日本でほとんど紹介されませんでした。対戦相手の名前の日本語表記を当時の日本語文献で調べようとするなら、それぞれの選手の世界戦があった時の『[[ボクシング・ビート|ワールド・ボクシング]]』誌を試合ごとにピンポイントで入手して調べるしかないと思いますが、そのいずれかに勝敗戦績一覧のようなものが掲載されていない限りは、特にキャリア初期の対戦相手で目立った活躍がないままに引退した選手の名前の日本語表記はなかなか見つからないと思います。2誌しかない専門誌のもう一方である『[[ボクシング・マガジン]]』の編集部が[[日本ボクシングコミッション]]と[[日本プロボクシング協会]]の協力を得て毎年出している『日本ボクシング年鑑』では、「IBF/WBOチャンピオン」として、各年度にIBF/WBOの世界王座を保持した選手の「名前・生年月日、出身地、デビュー日、特記事項(としてのアマチュア戦績)、当時の戦績」が初めて記載されたのは2002年だと思いますが、この時も巻末の「歴代チャンピオンリスト」にはIBF/WBOの王者は記載されず、過去の王者については名前の表記さえ調べられませんでした。年鑑は2006年には発行されず、その後は買わなくなりましたので知りませんが、それまでの年鑑の「歴代チャンピオンリスト」ではWBA/WBCの世界王者の王座保持期間も年度だけ記して月日までは記していません。2013年4月1日に日本ボクシングコミッションがIBF/WBOの世界戦を全面的に認可しましたが、その後も年鑑ではせいぜい歴代チャンピオンとして名前の表記と王座保持期間(年度のみ)がわかる程度で、対戦相手の名前の表記までは網羅していないと思います。『ワールド・ボクシング』2000年4月号増刊(「年報」的なもの)の「タイトル変遷史」では王座保持期間が日付まで記されていますが、[[鄭鐘寛]]は「鄭'''鍾'''寬」ですし、[[李承勲]]、[[徐聖仁]]、[[全周都]]、[[申喜燮]]の王座保持期間は削除対象の記事とは違っています(このうちいくつかの記事の途中版で「韓国拳闘連盟」による戦績データを追加してくださった方がいらっしゃいますが、そちらのデータとはほぼ一致するようです)。こういうデータブック的なものを除けば、あとは各選手の特集記事が何らかのタイミングで専門誌等に掲載されているものを探すしかありませんが、現在、ボクシング分野でウェブ以外の資料に基づいて(それを提示して)編集をしてくれる人はほとんどいませんし、ダルメーターさんの関心の対象にあわせて他者のご協力をあおぐのは極めて困難な作業になることと思います。日本語の資料が見つからなかった場合、韓国語圏や英語圏の資料は見つかるかもしれませんが、韓国語や韓国の文化に詳しい方でないと韓国人名を適切に日本語で表記する作業は不可能なんじゃないかと思えます。
:なお、上で断定的に書いてしまった日本人選手名ですが、私は役に立ちそうな1980年代の文献は1988年と1989年の年鑑しか持っていません。「当間嗣之」さんについては、BoxRec.comのデータをたどっていくと[[カオサイ・ギャラクシー]]と対戦経験があるらしいので、1989年版の年鑑で当時WBAの世界王者だったカオサイの対戦戦績を調べた結果として、条件付きで推認したものです。同様にBoxRec.comのデータをたどると、「古口哲」さんについては[[六車卓也]]さんと対戦経験があるらしいことから、また「多田浩幸」さんについては[[友利正]]さんと、「杉辰也」さんについては[[川島郭志]]さんとそれぞれ対戦経験があるらしいことから、それらが事実ならという、いずれも条件付きでの推認です。これらの選手との試合の日付や結果まではわかりません。「倉八一人」さんについては1988年5月22日の試合が確認できましたが、結果は「TKO」ではなく「KO」であり、「川名祝数」さんについては1987年2月19日の試合が確認できましたが、結果は「5回KO」ではなく「4回終了TKO」とされています。
:私に調べることができたのは以上が全てですが、これらのことから選手名、試合結果についての信頼性は著しく低いものと感じます。また、『ワールド・ボクシング』2000年4月号増刊は「申喜燮」を「中喜燮」と表記していますが、これは前者のほうが正しそうですし、同資料は[[ボビー・ベルナ]]を初代と記録せず[[徐聖仁]]を初代IBF世界スーパーバンタム級王者としていますが、''An Illustrated History of Boxing'' ISBN 978-0-8065-2201-2 ではボビー・ベルナが初代王座の決定戦を行ったことについての記載がありますから、同資料を単一の出典として記述を書き換え、あるいは維持するのは抵抗があります。
:次に東洋人以外の選手について。[[ロベルト・ガルシア]]については王者時代の年報に当たる『ワールド・ボクシング』1999年4月号増刊でごく簡単なデータは確認できますが、同記事初版[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=48062357]に英語版[https://en.wikipedia.org/w/index.php?oldid=553752957]からの転用が認められますので加筆協力する気にはなれません。同様に、[[テオン・ケネディ]]も特にこの版[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=44385188]に英語版[https://en.wikipedia.org/w/index.php?oldid=498007812]からの転用、[[BJ・フローレス]]は初版[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=61548178]に英語版[https://en.wikipedia.org/w/index.php?oldid=744331047]からの転用が認められます。[[ボビー・ベルナ]]は外部リンクに別の選手の頁が貼られているものの、ガルサ戦の出典として提示されている小さな新聞記事がBoxRec[http://boxrec.com/media/index.php?title=Fight:29909]内で使用されていたものの借用と思われることも含め、全面的にBoxRecに依存した記事ではあると思いますが、対象記事群のすべての記述のうち、このガルサ戦についての記述だけはこの出典ゆえに唯一信頼できます。[[ファン・ポロ・ペレス]]については信頼できる出典がありません。
:これらすべてをふまえ、私としては上の投票内容を維持せざるをえません。--[[利用者:Ak from the villa|ak from the villa]] 2016年12月3日 (土) 09:58 (UTC)