「上海鑑泉太極拳社」の版間の差分

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[[File:上海鑑泉太極拳社鑑泉庁.jpg|thumb|上海鑑泉太極拳社鑑泉庁(2015年撮影)]]上海鑑泉太極拳社(しゃんはいシャンハイかんせんたいきょくけんしゃ [[中国語]]:上海鉴泉太极拳社 Shanghai Jianquan Taijiquanshe)は[[呉式太極拳]]創始者[[呉鑑泉]]によって1932年に[[上海市|上海]]にて創立された太極拳法人団体である。団体の略称は鑑泉社(かんせんしゃ)。
 
== 創立 ==
1928年、北京体育学校(旧北京体育講習所)で太極拳の伝授に務めていた呉鑑泉は、上海市政府、[[上海精武体育会|精武体育会]]、中法大学及び当時上海の社会名流であった[[黄金栄]]、[[杜月笙]]、張暁林、王暁籟等の要請を受け、南下し、多くの人々に太極拳を伝授することに至った。1932年、鑑泉太極拳社が上海に設立された。最初は慈恵南里に拠点を置かれていたが、1935年に、多数の呉式太極拳愛好者達からの出資を受け、八仙橋青年会(現西蔵路青年会YMCA)同意の元で、南棟の最上階の上に増築された新しい稽古場「鑑泉庁」に移転された。「鑑泉庁」は、屋内の面積は約100平米であり、屋外も約50平米の広さであった。周囲の環境が静かで、稽古の設備も揃っていた「鑑泉庁」には、当時各業界の太極拳愛好者に人気があり、最盛期は毎日朝、昼、晩三回稽古のクラスが設けられた。当時の一般民間人のほか、国民党政府の重要人物であった焦易堂、王用賓、熊式輝、彭養光、袁良、呉思予等も次第に呉鑑泉の元で太極拳を学んでいた。