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[[Image:Gilera 4.jpg|thumb|200px|right|ジレラ4]]
'''ジレラ'''(''Gilera'' )は、[[イタリア]][[アルコレ (モンツァ・エ・ブリアンツァ県)|アルコレ]]の[[オートバイ]]製造会社(メーカー)。[[1969年]]に[[ピアッジオ]]に買収されてからは、ジレラは同社が所有する6つの[[ブランド]]のひとつとなった。
 
==歴史==
===創業からレース界での活躍まで===
ジレラは、1909年にジュゼッペ・ジレラが創業した。同社は、世界で初めてオートバイ市販を行った<small><ref name="conrod">{{cite web|url=http://www.connrod.com/gilera/gilera.html|title=ジレラ(Gillera)|publisher=コネクティングロッド|language=日本語|accessdate=2008年1月11日}}</ref></small>。
 
1935年にジレラはロンディネ(''Rondine'')から四気筒[[エンジン]]の権利を買い取り、100ccから500ccまでの[[4サイクル]]オートバイ製造に集中し、1937年には当時の最高速度170mphを記録した<small><ref name="musashino">{{cite web|url=http://www.scootertune.com/gilera/runner.htm|title=Gillera(ジレラ)社について|publisher=武蔵野通信|language=日本語|accessdate=2008年1月11日}}</ref></small>。この代表格が1939年の『Saturno』であり、後40年近くに亘るレース界での活躍の端緒ともなった。
 
[[第二次世界大戦]]後に開催された[[ロードレース世界選手権]]初期、ジレラは500ccクラスを席捲した。[[ウンベルト・マセッティ]]、[[ジェフ・デューク]]、[[リベロ・リベラッティ]]を擁し、8年間で6度のチャンピオン輩出を遂げた。しかしながら、戦後の[[自動車]]ブームのためにオートバイの販売は減少し、会社の収益は悪化した。1957年の選手権を最後に、ジレラは他のイタリア系オートバイメーカーとの紳士協定に基づき、経費削減のためにレース界から手を引いた。
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[[Image:Gilera 125 CX 2.jpg|thumb|200px|right|ジレラ125CX2(2006年)]]
ジレラはレースにも復帰し、1991年には[[ダカール・ラリー]]へ出場<small><ref>{{cite web|url=http://www.kaneban.jp/scooter/gilera.html|title=スピードの挑戦、ジレラ(Gillera)|publisher=カネバン|language=日本語|accessdate=2008年1月11日}}</ref></small>。1992年からはGPにもマシンを送り出し、[[2001年]]の[[ロードレース世界選手権]]125ccクラスでは[[マヌエル・ポジアーリ]]の運転によりチャンピオンを獲得した。2000年代からは、スポーツバイクも発表している。
 
==主なモデル==
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==脚注==
{{Reflist}}
<references />
 
==外部リンク==
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*[http://www.gilera-saturno.com/ ジレラ『Saturno』]
*[http://www.gilera4t.it/ www.gilera4t.it]
*[http://www.uk.gilera.com/urbanzone/ ジレラUK・UK・ウェブサイト]
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[[Category:イタリアのオートバイメーカー・ブランド]]
 
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[[Category:イタリアのオートバイメーカー・ブランド]]