「ホツマツタヱ」の版間の差分

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『'''ホ'''』はそれぞれの名家に伝承されていた文書を示す。あえて漢訳するとしたら『'''文'''』が適切である。『'''ツ'''』は名家に伝承されていた複数の文書を集めるイメージになっている。あえて漢訳するとしたら『'''集'''』が適切である。『'''マ'''』は集めた文書を平たく受止めたうえで、一つの筋に纏めて次に進めるというイメージになっている。現代語でいうと『'''編集'''』である。あえて漢訳すれば、『'''纏'''』が適切である。いくつもの名家に伝わった文書を集めて、編集して、一つの文書に結実させてゆくプロセス。そのプロセスを『'''ホツマ'''』と命名しているのである。『'''ホツマツタヱ'''』はこうしたプロセスを経て纏められた文書群を後世に伝えることである。あえて漢訳すると、『'''文集纏伝'''』となる。この説は[[ヲシテ]]文字の形に込められている意味やイメージを研究した結果導き出されたものである。この結論に[[和仁估安聡]]が至らなかったということは、[[和仁估安聡]]も[[ヲシテ]]文字を理解していなかったことを示している。[[ヲシテ]]文字を[[和仁估安聡]]が読めないので、[[和仁估安聡]]が当て字を当ててみただけなのだろう。これは、[[和仁估安聡]]が[[ホツマツタヱ]]の著者であるという仮説に疑問をもたらすものである。何故なら、『'''ホツマ'''』という言葉に適合した内容の奉呈文を記述しながら『'''ホツマ'''』に『'''秀真'''』という無内容な当て字を当てたことになるからである。[[和仁估安聡]]が[[ホツマツタヱ]]の完写本の著者であるとしたら、「秀真」という表題の読みに対応した『'''ホツマ'''』という文字の形に合致するストーリーを、[[和仁估安聡]]は一体、どのように創作したのであろうか?このようなパズルを内包する文書が、近世に創造された例があろうか?それは、大変考えにくいことである。[[ヲシテ文献]]においては、[[ヲシテ]]の語義と文法上の機能が、[[ヲシテ]]文字の形が示唆する意味やイメージと関連し、説明可能となっている。こうした関係性が江戸時代に成立したと考えることは非常に難しい。
 
それと、この説は従来説(和仁估安聡説)が皮相的な理解に留まっていることをも意味している。<ref>[[ヲシテ]]言語学のソースは、池田 満・青木 純雄・斯波 克幸『よみがえる日本語Ⅱ-助詞のみなもと「ヲシテ」』[http://www.meijishoin.co.jp/book/b201177.html 明治書院] 2015/07 ISBN 4625634156</ref>
 
== ホツマツタヱの内容 ==