「白善燁」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
46行目:
近在では比較的裕福な中規模地主の家系であった。6歳の時に父が死亡すると一家は困窮したが、母と子供3人で平壌に移り住んだ<ref>{{Harvnb|佐々木|1977|loc=上巻 p. 42.}}</ref>。母と姉が働くことで家計は安定し、白善燁と白仁燁は進学することが出来た<ref name="p23">{{Harvnb|白|2000|loc=p. 23.}}</ref>。小学校を卒業後、道立の商業学校と[[平壌師範学校]]の両方を受験して合格したため、学費無料のほか衣食住の支援も受けられる師範学校の方に入学した<ref name="p27">{{Harvnb|白|1988|loc=p. 27.}}</ref>。
 
1939年に[[国民学校]]の教師を養成する難関の平壌師範学校を卒業。在学中は生活を保証される代わりに[[師範学校]]の卒業後は2年間は教師として勤務する義務があったが、母方の祖父が軍人だったこともあり、[[満州国]]に渡り[[奉天]]の[[中央陸軍訓練処|満州国軍官学校]]に進学。勤務義務は免除された<ref name="p43">{{Harvnb|佐々木|1977|loc=上巻p. 43.}}</ref><ref name="p23" />。軍官学校の区隊長は傳連和という人で特に厳しかったそうだが、後に朝鮮戦争で交戦することになる<ref>{{Harvnb|佐々木|1977|loc=上巻p. 44.}}</ref>。
 
[[1941年]][[12月30日]]に満州国軍官学校の優秀生徒として卒業(9期)。前年までは優秀な学生を選抜して日本の[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]に留学させ上級幹部としての教育を受ける制度があったが、白が卒業した年に制度が中止されたので、陸士には留学していない<ref>{{Harvnb|佐々木|1977|loc=上巻 p. 44.}}</ref>。