「笹下城」の版間の差分

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笹下川流域と左右手川は狭い範囲で細かく蛇行し天然の三日月堀地形が連続している。その地形を利用し元笹下橋に大手門が置かれていた。元笹下橋の大手門を抜けると喰い違いの枡形が有った。洋光台一丁目が大手口、その背後に若宮曲輪、鍛冶屋敷、お倉が在った。[[梅花山成就院]]の背後が本丸の跡で、笹下4丁目一帯~洋光台1丁目にかけては笹下城の主要部分だった。
現在のフィットケアデポ周辺には「笹下城本丸からの抜け穴」とされる手堀の洞穴が有った。
 
洋光台一丁目の本丸周辺も宅地化され地形破壊されたが、本丸部分の切岸は成就院前の大空堀遺構、裏手の本丸切岸と大空堀が残った。現在の[[笹下中央公園]]には北見掃部屋敷の曲輪が在り、平成の初期まで大切岸、[[犬走り|武者走り]]が存在した。笹下城主要部分~笹下中央公園の尾根に至る畑地には間宮家臣内田対馬守家の土地で、尾根を掘削した切岸地形の下の畑地沿いの農道は[[犬走り|武者走り]]として『日本城郭大系』でも紹介されている。紺屋内田家の地所は尾根に一段高い削平地にあり、そこの削平地より一段下に武者走り地形の農道が有ったが現在は車が通れる車幅に拡張され住宅街の道路に成った。