「国際プロレスプロモーション」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[SWS]]解散後、[[ネットワーク・オブ・レスリング|NOW]]に所属していた元[[国際プロレス]]所属選手の[[鶴見五郎]]は第1次NOW崩壊後、[[高杉正彦]]や関係者と共に[[1993年]]、インディー団体統括組織「'''[[レスリング・ユニオン]]'''」を設立と同時に傘下団体「'''IWA格闘志塾'''(アイ・ダブリュー・エーかくとうしじゅく)」を設立。その後、レスリング・ユニオンは解散したがIWAの名前は高杉が設立した[[湘南プロレス|IWA湘南]](現:湘南プロレス)と同様しばらく付けたままであった。ただし同時期に設立されて同じくIWAを冠していた[[IWA・JAPAN|I.W.A.JAPAN]]はレスリング・ユニオンに加わっておらず無関係だった。
 
高杉の地元[[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]や鶴見がトレーニングジムを持つの地元[[神奈川県]][[茅ヶ崎市]]を中心に[[鶴見青果市場]]、[[茅ヶ崎青果市場]]、[[新大津スイミングクラブ]]等の小規模会場での興行を主としてマスクを付けた怪奇派のキャラクターレスラーを登場させていた。フリー選手の他に自身鶴見が経営している[[鶴見五郎トレーニングジム]]でプロレスラーを養成してリングに上げるスタイルをとっていて[[奥村茂雄]]、[[高木三四郎]]、[[佐野直]]は鶴見五郎トレーニングジム出身である。
 
[[1997年]][[5月11日]]の興行を最後に団体名をIWA格闘志塾から国際プロレスプロモーションに改称して国際プロレスの王座であった[[IWA世界ヘビー級王座]]、[[IWA世界タッグ王座]]、[[IWA世界ミッドヘビー級王座]]を復活させた。なお命名及び王座の復活にあたっては国際プロレス創業者の[[吉原功]]の遺族に許可を得ている。団体名の「プロモーション」は各雑誌が付加したものであり現在は国際プロレスを正式名称としていることを[[Twitter]]で明らかにしている。代表は鶴見の息子である[[田中ゆうに]]が就任(「鶴見の息子」を名乗るエル・イホ・デル・ゴローとゴロー・ジュニアとはいずれも別人)。