「国際プロレスプロモーション」の版間の差分

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[[1997年]][[5月11日]]の興行を最後に団体名をIWA格闘志塾から国際プロレスプロモーションに改称して国際プロレスの王座であった[[IWA世界ヘビー級王座]]、[[IWA世界タッグ王座]]、[[IWA世界ミッドヘビー級王座]]を復活させた。なお命名及び王座の復活にあたっては国際プロレス創業者の[[吉原功]]の遺族に許可を得ている。団体名の「プロモーション」は各雑誌が付加したものであり現在は国際プロレスを正式名称としていることを[[Twitter]]で明らかにしている。代表は鶴見の息子である[[田中ゆうに]]が就任(「鶴見の息子」を名乗るエル・イホ・デル・ゴローとゴロー・ジュニアとはいずれも別人)。
 
小規模ながらも息の長い興業を続けてきたが神奈川県茅ヶ崎市の鶴見五郎トレーニングジムからリングを運搬していた中古2tトラックが[[2004年]]12月、[[自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法|首都圏のディーゼル車排ガス規制(自動車NOx・PM法)]]に抵触。[[ディーゼル微粒子捕集フィルター|DPF(粒子状物質減少装置)]]を付けたり買い換えたりする金がなかったため定期的に開催していた神奈川県横浜市鶴見区の鶴見青果市場での興行を中止することになった<ref>[https://archive.is/20120710001613/mainichi.jp/life/ecology/archive/news/2005/06/20050618dde041040029000c.html 国際プロレス:排ガス規制に勝てず 運搬トラックの浄化装置資金なく、横浜から姿消す] (毎日新聞 2005年6月18日 東京夕刊)</ref>。
 
その後、[[東京都]]で興行を開催したが[[2006年]]に鶴見が引退を表明してセミリタイア状態となったことから[[2007年]]5月を最後に興行は休止に入っていた。なお国際プロレスプロモーションで行われていた「IWA定期戦」は退団したレフェリーの[[アイアンマン西田]]が引き継いで[[頑固プロレス]]で行われている。
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[[2011年]][[9月24日]]、約4年ぶりに[[横浜赤レンガ倉庫]]1号館で興行を開催。鶴見もメインイベントに出場。
 
[[2013年]][[4月20日]]、約1年半ぶりに神奈川県茅ケ崎市の[[茅ヶ崎青果市場]]で興行を開催<ref>[http://ameblo.jp/hiroyo-hakai-no1/entry-11488894005.html?frm_src=thumb_module マスクドひろよん参戦情報] [[松本浩代]]の破壊日記 2013年3月12日</ref>。[[8月22日]]、[[新宿FACE]]で[[DDTプロレスリング]]と[[プロレスリングFREEDOMS]]の全面協力による「国際プロレス最終章 ワンスアゲイン」と題して鶴見の引退試合も兼ねた最終興行を開催して一区切りを付けた<ref>{{Cite video|date=2013-05-28|title=2013年8月22日 国際プロレス 鶴見五郎最後の闘い|url=http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=NiENd2ABGt8|time=1:19|publisher=国際プロレスプロモーションの[[YouTube]]チャンネル|accessdate=2013-05-30}}</ref>。
 
== タイトル ==