「十月革命」の版間の差分

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これに対する抵抗は少なく、赤衛隊はほぼ流血なしでペトログラードの印刷所、郵便局、発電所、銀行などの要所を制圧し、[[10月25日]](グレゴリオ暦の11月7日)に「臨時政府は打倒された。国家権力は、ペトログラード労兵ソビエトの機関であり、ペトログラードのプロレタリアートと守備軍の先頭に立つ軍事革命委員会に移った」と宣言した。
 
臨時政府の閣僚が残る冬宮に対する占領は25日午後9時45分、[[アヴローラ (防護巡洋艦)|防護巡洋艦アヴローラ]]の砲撃を合図に、[[ウラジーミル・アントーノフ=オフセーエンコ]]率いる部隊が進入して始まった。冬宮はコサックや士官学校生、女性部隊により防衛されていたが、ほとんど抵抗らしき抵抗はなく、26日未明の午前2時ごろに占領された。なすすべなく会議を続けていた閣僚たちは逮捕され、ケレンスキーは冬宮を脱出し最終的に国外へ逃れた<ref>J.バーナード・ハットン (著), [[木村浩]] (翻訳) 『スターリン―その秘められた生涯』61頁、ISBN 9784061588981</ref>。
 
十月革命の公式な日付は冬宮を除くすべての政府機関が占領された10月25日(グレゴリオ暦11月7日)とされている。後に、10月25日から26にかけての出来事はソ連政府によって実際よりも劇的に描かれるようになった。イギリスのペトログラード駐在武官アルフレッド・ノックスは冬宮の守備が体をなしておらず、ほぼ無抵抗で占領された様を目撃して書き残しているが<ref>http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/RUSknox.htm{{リンク切れ|date= 2015-12}}</ref>、[[1920年]]に革命3周年を記念して冬宮で上演された歴史再現群衆劇『冬宮への突入』では、冬宮占領の様はドラマチックに描かれている。以後、[[セルゲイ・エイゼンシュテイン]]の映画『[[十月 (映画)|十月]]』([[1928年]])など十月革命を描いた作品でも「冬宮突入」は革命のクライマックスとされ、激しい戦闘の末に冬宮が制圧された、という描き方がなされている。