「烏帽子」の版間の差分

平安以降、次第に庶民にも普及し、[[鎌倉時代|鎌倉]]から室町前半にかけては被り物がないのを恥とする習慣が生まれた。例えば「東北院職人歌合絵巻」([[東京国立博物館]]蔵、[[重要文化財]])には、身ぐるみ失った博徒がまだ烏帽子を着けている様が描かれている([http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0004831 画像])。つまり、烏帽子は当時の男性の象徴であり、これを取られる(または脱がされる)ことは屈辱的、恥辱的行為であり、紛争の発端になりやすい。しかし戦国時代以降、逆に日常は[[髷]]を露出し被り物を着けないのが普通となった。
 
近代になると[[月代明治]]以降は髷剃る結う習慣が生ま失わ烏帽子を固定する髷がなくなったため、頭にすっぽりとかぶり掛緒を顎にかけて固定するタイプのものが用いられることが多い。大相撲の[[行司]]が着用しているのを見ることができる。これに反して、明治初期の公家は大きい烏帽子を多用していた。
 
[[兜]]の中には、烏帽子形(えぼしなり)の兜が存在する。