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Tkamiya (会話 | 投稿記録)
m →‎略歴: 更年期障碍→更年期障害
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また、[[落語]]愛好者には[[笑福亭鶴光]]の弟子の名付け親としても知られる。
 
[[1992年]]秋口から、[[更年期障害|更年期障碍]]による眩暈や集中力低下を訴え連載を減らし、闘病生活に。その時の一連の経過は、著書「はらたいらのジタバタ男の更年期」・「男も『更年期』がわかると楽になる」などに詳しい。また経験を生かし晩年は男性更年期障の講演も行った。[[テレビ]]の[[クイズ番組]]「[[クイズダービー]]」に1977年[[1月22日]]~1992年[[6月27日]]までの間レギュラー出演するが、クイズ番組以外ではトークを求められることが多く、これが原因で[[うつ病]]を発症。公演中に倒れ、うつ病の診断を受けその後は仕事を20%ほど減らした。ほぼ同時期に、妻のちず子が[[乳がん]]を患ったが、はらはちず子がいないと何もできないことを熟知していたため、早期に退院できる方法として検査機関の短い乳房を残さない全摘出手術を選ぶ。手術後にちず子のもとを訪れたはらは、チューブ類が繋がれた妻の様子を見て卒倒して意識を失い、妻とともに入院する。退院後は、2人で旅行をするなどして楽しんでいたものの、それも長くは続かず、高校生時代から患っていた[[肝硬変]]を悪化させるが、飲酒量が多かったことなどもありすでに手遅れの状態だった。病院では、[[ナースコール]]すら押せないほど気弱な一面を見せ、2時間おきに妻のちず子に電話をしていた。このため、ちず子も不眠の日々が続き、時にはこっそり病院に泊まりこむ日もあった。「生まれ変わってもお前と夫婦でいたい」が最初で最後の夫婦らしい会話であったという<ref name="recipe">[http://madam-recipe.com/blog/archives/28456 2015/3/17 レシピエンヌ - あの偉人を陰で支えたニッポンの妻SP はらたいらのうつ病と肝硬変を支えた、森本ちず子さんの一途な一生]</ref>。
 
娘の[[原麻衣子]]は[[バレリーナ]](元[[スターダンサーズ・バレエ団]])である。[[正保ひろみ]]など、弟子筋の作家も輩出している。