「ビリー・ライト」の版間の差分

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m Bot: ====選手時代==== → ===選手時代===, ====引退後==== → ===引退後=== ,Corrected level of heading(s) ∵Check Wikipedia #25
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== 経歴 ==
====選手時代====
ライトは[[1938年]]に14歳で[[ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC]](以下、ウルブス)のBチームの試合でデビューを飾った。後に8ヶ月間のトライアルを受けると[[フランク・バックレイ]]監督に認められ、翌1939年に15歳でトップチームへの昇格し[[ノッツ・カウンティFC]]戦でデビューを飾った。彼は17歳の時にプロ契約を結んだが、[[第二次世界大戦]]の影響により経歴の中断を余儀なくされ、戦時中の間は[[レスター・シティ]]のゲストプレーヤーとして[[フォワード (サッカー)|フォワード]]やディフェンダーなどでプレーした。
 
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なお、キャップ数はイングランド歴代5位の記録であり(2011年1月現在)、[[ボビー・ムーア]]によって塗り替えられるまで10年以上に渡って歴代最多記録であった。またイングランド代表史上において初めて100試合出場を果たした選手でもあった<ref>[http://www.hinduonnet.com/tss/tss2603/stories/20030118006710700.htm BRIAN GLANVILLE 「Billy Wright or wrong? 」]</ref>。なお、キャプテンとしての代表出場数90は、[[ボビー・ムーア]]と並んで歴代最多である。
 
====引退後====
引退後は指導者の道へ進み、1962年に[[アーセナルFC]]の監督に就任した。就任最初のシーズンは7位で終えたが、徐々に成績は下降線を辿り、1965-66シーズンを14位で終えると、1966年夏にアーセナルの取締役会により監督を解任された。