「コウ馺特勤」の版間の差分

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時に回鶻では連年、疫病と飢餓に悩まされた上、大雪にも見まわされたため、多くの羊や馬を死なせてしまっていた。
 
そんな中、渠長(きょちょう:将軍)の句録莫賀(句録末賀、キュリュグ・バガ)は掘羅勿を恨み、北の黠戛斯([[堅昆|キルギス]]、Qïrqïz)軍10万騎を招き寄せて回鶻城([[オルド・バリク]]か?)を破り、㕎馺可汗と掘羅勿を殺してその牙帳<ref>帳幕([[ゲル (家屋)|ゲル]])のこと。</ref>を焼き払った。これによって回鶻の衆は散り散りになって諸蕃に奔走することとなり、宰相の馺職(そうしょく)は外甥の[[ホウ勤|龐特勤]](ほうテギン)および男鹿并遏粉ら兄弟5人、計15部を擁して西の葛邏禄([[カルルク]]、Qarluq)に奔走し、一部は[[吐蕃]]へ、一部は[[安西都護府|安西]]([[亀茲]])へ投じた。また可汗の牙帳近くの13部は、[[烏介可汗|烏介特勤]](ウゲ・テギン、Ügä Tägin)を可汗に推戴し、南の錯子山に割拠した。 回鶻を破った黠戛斯は太和公主を得る。
 
こうして[[モンゴル高原]]に覇を唱えた回鶻可汗国は崩壊した。