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'''山名 教豊'''('''やまな のりとよ'''、
[[宝徳]]2年(1450年)、父の宗全より家督を譲られ、[[享徳]]3年(1454年)には[[但馬国|但馬]]・[[播磨国|播磨]]・[[備後国|備後]]・[[安芸国|安芸]]4ヶ国の[[守護]]となる。[[康正]]元年(1455年)5月、宗全が失脚した際に[[赤松則尚]]が播磨奪回をはかり山名領へ侵攻すると、弟で[[播磨国]][[室山城]]主の[[山名政豊]]の援軍として駆けつけ、赤松軍を備前へ追い払った。
[[畠山氏|畠山家]]の内紛に際しては、[[畠山義就]]を支持する父の宗全に難色を示しており、山名家の対立も[[応仁の乱|応仁・文明の乱]]へ影響する。[[応仁]]元年([[1467年
== 関連項目 ==
* [[山名氏]]
[[Category:守護大名|やまなのりとよ]]
[[Category:室町時代の人物|やまな のりとよ]]
▲[[Category:1467年没|やまな のりとよ]]
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