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== MTV JAPAN開始以前 ==
[[1984年]]10月、[[朝日放送]]([[ABCテレビ]])が米MTVのPV番組を編集した『MTV:Music Television』の放送を開始.制作はsoultrainなどを手掛けベストヒットUSAのオープニング制作を担当したspirit enterpriseが請負い
[[1984年]]10月、[[朝日放送]]([[ABCテレビ]])が米MTVのPV番組を編集した『MTV:Music Television』の放送を開始( - [[1988年]]4月。当初は土日深夜の放送で日曜に限りテレビ朝日系全国ネット)。[[ソニー]]の影響力が大きく、[[一社提供]]で特注のCM(特に5秒CMは大きな話題となった)を大量に製作し『MTV』の普及に尽力した。最盛期には平日、休日を問わず毎日放送されていた(関東のみ)。しかし[[1987年]]頃より若者の洋楽離れが進み、『MTV:Music Television』は徐々に時間枠が少なくなりやがて消滅する。本編のおまけ的な扱いであった[[島田紳助]]司会のトーク番組『紳助のMTV倶楽部』が意外なことに最後まで存続し[[1996年]]まで続く長寿番組となる。(朝日放送とMTVとの提携解消により後に番組名を『[[CLUB紳助]]』に変更)
上津原伸介、松本大輔の二人のディレクターにより作られた。毎週、アメリカNYで放送された素材8時間を緊急通関し全てをチェックし2時間に編集して放送された。週末はMTV TOP20 VIDEO COUNTDOWN(関西地方のみOA)が放送された。2時間枠での最高視聴率は10%近くありその後のヴィデオクリップ番組に大きな影響を与えた。ヴィデオクリップという言葉を使ったのはMTVが最初。その他、数々のイベントも行われ、好きなアーティスのコンサートにリムジンで招待されVIP席で鑑賞しその後アーティストに会えるというone night standという企画は大好評を博し、アメリカにまで招待するという大きな企画へと伸び大きな話題となった。
[[1984年]]10月、[[朝日放送]]([[ABCテレビ]])が米MTVのPV番組を編集した『MTV:Music Television』の放送を開始( - [[1988年]]4月。当初は土日深夜の放送で日曜に限りテレビ朝日系全国ネット)。[[ソニー]]の影響力が大きく、[[一社提供]]で特注のCM(特に5秒CMは大きな話題となった)を大量に製作し『MTV』の普及に尽力した。最盛期には平日、休日を問わず毎日放送されていた(関東のみ)。しかし[[1987年]]頃より若者の洋楽離れが進み、『MTV:Music Television』は徐々に時間枠が少なくなりやがて消滅する。本編のおまけ的な扱いであった[[島田紳助]]司会のトーク番組『紳助のMTV倶楽部』が意外なことに最後まで存続し[[1996年]]まで続く長寿番組となる。(朝日放送とMTVとの提携解消により後に番組名を『[[CLUB紳助]]』に変更)
 
日本においては、この80年代中盤の朝日放送時代が強烈な印象を残しており、いまだに『MTV』といえばこの頃の放送を指す場合が多い。(『MTV』の重要な節目であった90年代に、日本が『MTV』と良好な関係を築けなかったことが大きく影響している)