「千曲市」の版間の差分

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* [[1614年]]([[慶長]]19年)[[松平忠輝]]配下の海津城主の[[花井吉成]]に宛がい与力分として6千石が与えられた中に桑原村、若宮村、内川村の名が見られる。他に[[更級郡]]の四ツ屋村、二柳村、とふくじ(東福寺)村、今井村、[[水内郡]]のなかごい(中越)村、[[高井郡]]の沼目村が列記されている(花井家文書)
* [[1742年]][[戌の満水]]・寛保の大水とも言われる大洪水で市域や近隣に広く被害が及んだ。
* [[1847年]][[善光寺地震]]で市域を含む北信地域に広く被害が及び[[冠着山]]などでも崩落が多数発生。[[御開帳]]に連れ立って詣でていた若宮の12名が被災全滅した。この八年後に通過した[[清川八郎]]は復旧が進んでいない[[稲荷山宿]]等周辺の様子を「未ださみしき有様記録している。
* [[1878年]]長野県内初の銀行が稲荷山町で営業を開始。