「昌原郡」の版間の差分

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{{Dablink|'''義昌郡'''はこの項目に'''[[Wikipedia:リダイレクト|転送]]されており、'''統一新羅時代に存在した'''義昌郡'''は現在の[[慶尚北道]][[浦項市]]の一部である。}}
{{朝鮮の事物|
title=昌原郡|
'''昌原郡'''(チャンウォンぐん)は、[[大韓民国]][[慶尚南道]]にかつて存在していた郡。近代以降の郡域は現在の[[昌原市]]とほぼ一致し、このほかに加徳島(現:[[釜山広域市]][[江西区 (釜山広域市)|江西区]]の一部)も含んでいた。
 
[[朝鮮王朝]]時代には[[慶尚道]]に属し、近代以降は[[慶尚南道 (日本統治時代)|慶尚南道]]に属した。'''[[馬山市|馬山]]'''は近代に開港場となり郡から分離したが、昌原郡庁は馬山市内に置かれた。大韓民国成立後、軍港都市'''[[鎮海区 (昌原市)|鎮海市]]'''、計画都市'''[[昌原市]]'''が郡からされ、残る郡部は'''義昌郡'''(ウィチャンぐん)に改称した後、再び昌原郡に戻したが、1994年末に廃止された。
 
1980年に発足した昌原市の範囲は旧昌原郡の一部を占めるにすぎなかったが、2010年7月に馬山市・鎮海市を合併したことにより、1914年時点の昌原郡・馬山府の範囲とほぼ一致することになった。
 
== 歴史 ==
:''[[{{See also|馬山市#歴史]]・[[|昌原市#歴史]]・[[|鎮海区 (昌原市)#歴史]]も参照のこと。''}}
 
=== 前近代 ===
 
=== 大韓民国成立後 ===
大韓民国成立後、1955年に鎮海邑が'''[[鎮海区 (昌原市)|鎮海市]]'''として分離。1970年代、昌原面・上南面・熊南面は[[馬山市]]に編入されたのち昌原新都市として開発が行われ、1980年に'''[[昌原市]]'''となった。このため、西部・北部・東南部に分散して残った郡部は'''義昌郡'''に改名した。東南部の熊東洞が鎮海市に、天加洞(加徳島)が釜山広域市江西区にそれぞれ編入された後、1991年に再び'''昌原郡'''に改名。1995年1月1日、西部の5面が馬山市に、北部の3面が昌原市に統合され、昌原郡は消滅し廃止された。
 
=== 年表 ===
{{節スタブ|1914年と現在の行政区域比較表|date=2016年12月}}
* [[新羅|統一新羅]] - 屈自郡が置かれた。
* [[775年]] - 屈自郡が義安郡に改称。
 
== 下位行政区画 ==
1931年(鎮海面の邑昇格)から1955年(鎮海邑の市昇格・)にかけて存在した1邑14面は以下の通り。
 
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