「伊那電気鉄道の電車」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m link修正, replaced: JR西日本JR西日本 using AWB
編集の要約なし
44行目:
 
*'''ホ1 - 3'''
:飯田までの延伸開業に際して、[[1920年]](大正9年)6月設計認可を受け、[[日本車製造]]東京支店で製造された、伊那電気鉄道初の[[ボギー車]]である。定員は80人、自重は21t、前面は軽いRを設けた3枚固形窓で、側面窓配置は両端に出入り台を設けてその間に窓が15枚ある。出入り台には、折戸を設けていた。電動機は50PS×4で、空気制動機を装備していた。
:昇圧後は、番号はそのままで電装解除のうえ電動車による牽引専用の後付付随車として使用されたが、[[1926年]](大正15年)4月9日付けの改番(以下「第2次大改番」という)により、サハフ300, 301,サロハフ200に改められた。以降の経歴については、昇圧後の車両の節で記述する。
 
57行目:
 
*'''29, 30 → 35, 36'''
:[[1919年]](大正8年)7月、日本車製造製の2軸[[郵便車|郵便]][[荷物車]]である。荷重は7tであるが、郵便室と荷物室の間は簡単な柵で仕切られていたのみである。番号が従来の客車に比べ、大きく飛んでいるが、これは貨車である有蓋緩急車の後に付番したためである。
:第1次大改番により35, 36と改番されたが、この時も有蓋緩急車の後に付番されている。昇圧まで使用されたが、1924年度に35が廃車、翌年に36は有蓋緩急車(貨車)に類別変更され、ワフ36となっている。