「首相公選制」の版間の差分

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[[1992年]]、イスラエルの[[クネセト]]([[国会]])において首相公選法が成立し、[[1996年]]に初めて首相選挙を行い、[[ベンヤミン・ネタニヤフ]]が初めての公選首相に選出された。しかし、新制度による選挙民の[[投票行動]]の変化からクネセトの議員の構成が小党分立傾向が強くなり、またクネセトに[[内閣不信任決議]]の権限が与えられていたこともあって政局が不安定になり、首相の指導力は低下した。つまり、目指す方向とは逆の結果になってしまったのである。
 
その後、[[1999年]]、[[2001年]]と計3度にわたって首相公選を行ったものの「百害あって一利なし」という状態に陥ったため、2001年の公選で成立した[[アリエル・シャロン|シャロン政権]]発足直前に[[リクード]]、[[イスラエル労働党|労働党]]の賛成多数で廃止した。公選廃止はシャロンの政敵だったネタニヤフの台頭を阻止するという面もあった。他方、小党分立によって恩恵を受けていた宗教政党は公選廃止に大反対であった。[[中田宏]]前[[横浜市|横浜市長]]は衆議院議員時代にイスラエル案を提唱していた。
 
== 日本における首相公選論 ==