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[[1880年]]([[明治]]13年)には[[明治天皇]]が[[明治天皇の山梨県巡幸|山梨県巡幸]]を行い、同年6月18日に猿橋を渡っている。[[歌川広重 (3代目)|三代広重]]は『'''諸国名所之内 甲州猿橋遠景'''』においてこの時の様子を描いている。
 
[[1932年]]([[昭和]]7年)3月に国の[[名勝]]に指定された{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=75}}。名勝に指定された当時、橋の所在地であった大原村が、管理に手がかかるため所有を拒否したため、猿橋はどこにも管理されていない無所属の状態であり、修理に必要な国の補助金が受けられない状況が続いた{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=75}}。この問題は、1963年(昭和38年)になって大月市の所有に決定し現在に至っている{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=75}}。
[[1932年]]([[昭和]]7年)に国の[[名勝]]に指定された。[[1934年]]に上流に[[新猿橋]]が造られ、[[国道]](当時は国道8号、現在は山梨県道505号)はそちらを通るようになった。[[1973年]](昭和48年)には別の新猿橋が下流に造られ、国道20号が通るようになった。これら二つは今も並存する。
 
[[1934年]]に上流に[[新猿橋]]が造られ、[[国道]](当時は国道8号、現在は山梨県道505号)はそちらを通るようになった。[[1973年]](昭和48年)には別の新猿橋が下流に造られ、国道20号が通るようになった。これら二つは今も並存する。古い猿橋を継承するものとしては、H鋼に木の板を取り付け、岸の基盤をコンクリートで固めた橋が、[[1984年]](昭和59年)に架け替えられた{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=75}}。これが現在の猿橋で、部材を鋼に変えて[[1851年]]([[嘉永]]4年)の橋を復元したものである。
 
なお、[[1902年]](明治35年)に[[中央本線]]の[[鳥沢駅|鳥沢]] - [[大月駅|大月]]間が開業した際には猿橋の脇を通っていたため、列車内から橋が眺められた。しかし、[[1968年]](昭和43年)[[梁川駅 (山梨県)|梁川]]-[[猿橋駅|猿橋]]間複線化の際に途中駅の鳥沢駅から[[新桂川橋梁 (中央本線)|新桂川鉄橋]]で桂川を渡り、猿橋駅に至る南回りのルートに変更されたため、列車内から橋を眺めることはできなくなった。
 
=== アクセス ===