「国鉄C61形蒸気機関車20号機」の版間の差分

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[[2008年]](平成20年)12月、「SL湯けむり号」として運行を控えていたD51 498が、[[小牛田運輸区]]での火入れの際に機関助士のミスによって空焚き事故を起こしてしまう<ref>{{cite web|url=http://www.asahi.com/national/update/1226/TKY200812260358.html|title=デゴイチ、「空だき」で走行不能 営業運転車両ゼロに|publisher=朝日新聞|date=2008年12月27日|accessdate=2008年12月}}</ref>。約9ヶ月間D51 498が使用できなくなったことによる様々な弊害が生じる結果を引き起こしたこの事故がきっかけとなり、JR東日本はD51 498の予備機という名目のもとで3機目となる蒸気機関車の動態復元に向け、SL復活プロジェクトを[[2009年]](平成21年)2月に立ち上げた。プロジェクト調査開始当初の報道では、[[碓氷峠鉄道文化むら]]に保存されているD51 96をはじめ、かつて[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)が運行していた[[国鉄C62形蒸気機関車3号機|C62 3]]なども調査リストに含まれていたが、まだ当機のことは報じられていなかった。
 
2009年6月、JR東日本は当機が復元できる可能性を秘めているとして、近く復元する方針を固めたとの報道がなされた。この時点ではJR東日本からの直接的な動態復元についての告知はなく、各報道機関への声明発表のみとされていた。そして12月、JR東日本より12月度記者会見ならびにホームページ上にて、当機の動態復元についての正式な発表が行われた<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2009/20091207.pdf 定例社長会見 C61形蒸気機関車の復元について(JR東日本 プレスリリース)]}}</ref>。この時点での復元後の当機の取り扱いとしては、まず2011年春以降を目処にD51 498の本拠地である[[高崎車両センター]]高崎支所に配置され、D51 498同等「[[SLみなかみ]]」および「SL碓氷」のメイン牽引機として年間110日程度の運行が行われる予定であることとされていた。また、D51 498が[[日本の鉄道車両検査|検査]]中の場合、あるいは「SLみなかみ」などの運行で高崎に残っている際にイベント要請があった場合、東日本管内のイベント列車牽引機として抜擢することも予定されている。当機の復元により、かねてより課題だった大型蒸機によるイベント運行に対して柔軟に対応できることや、前述のトラブルなどに際しての代走がスムーズに行えるなどのメリットが生まれている<ref>一例では、2012年1月21日に運行された「SL碓氷号」は所定D51 498牽引予定のところ、同機の不具合発見による代走の実績がある。一方、その逆も復活後最初の夏の「SLみなかみ」でも発生している。</ref>。また、既に運行されているD51形とC57形双方の構造と製造技術を兼ね備えていることもあり、整備や運転面などでの有利さも、当機が動態復元機として選ばれる理由となった。当機の復元に伴って、[[高崎車両センター]]が保有する旧型客車7両もあわせて再整備することが発表され、復活直前の2011年(平成23年)早春に第一次工事(ドアの改造・手洗いの整備)を実施・完了した。
 
動態復元の正式発表後、華蔵寺公園遊園地では、公園を離れることを記念し、12月下旬より運転室内の特別公開が行われた。また、当機の復元を祝う看板を用意した他、報道当時の新聞を諸元説明の隣に掲示するなど、復活への意気込みをアピールした。最終的な展示は年明けの[[2010年]]1月11日まで行われ、その後は復元準備のために当機の周囲への立ち入りを禁止する処置が施された。1月19日、3台の[[牽引自動車|トレーラー]]によって[[炭水車]]、ボイラー、主[[台枠]]および走り装置の3つに分けられた。翌20日未明より搬送され、同日の明け方までに復元工事が行われる[[大宮総合車両センター]]へ到着、21日に復元工事着工式が執り行われ、本格的な解体作業が開始された。この復元に際しては、映画「[[男はつらいよ]]」などで知られる[[山田洋次]]監督から、このC61 20の復元にまつわる作業などをドキュメンタリー映像として記録したいとの申し出があり、復元の流れに沿って映像を撮影している<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jreast.co.jp/press/2011/20110612.pdf|title=SL「C61 20」復元工程のドキュメンタリー作品のテレビ放映について|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2011-07-20}}{{Cite web|date=|url=http://www.nhk.or.jp/special/onair/110716.html|title=NHKスペシャル|復活 ~山田洋次・SLを撮る~|publisher=日本放送協会|accessdate=2011-07-20}}</ref>。ボイラーは3月から11月までの間、[[サッパボイラ]]にて修復を実施、また動輪・車輪は[[住友金属工業]]にて整備・新造が行われた。ボイラーは保存状況がやや粗雑だったこともあり、全体の4割が腐食していたが、煙管・加熱管を全て交換することはもちろん、蒸気ドーム自体の修繕も念入りに行われた。また、他の部品でも使用出来なくなったものも点在し、新たに新規製造する部品も多かったことから、これらが後の復元作業の進行に影響を及ぼすこととなった。