「ボビー・ジョーンズ (ゴルファー)」の版間の差分
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競技ゴルフの使用クラブ数の決定にも関与した。例えば、[[1934年]]、[[1935年]]に全英アマと全米アマを連続制覇した[[ローソン・リトル]]は31本使用し、これに対しイギリス人キャディが「重すぎる」とクレームして、クラブの本数制限の議論が活発化した。これに対し、[[1936年]]ウォーカーカップが開催されたパインバレーゴルフクラブの駐車場のロールスロイス車中でジョーンズ(アメリカ代表)と[[トニー・トーランス]](イギリス代表、ウォーカーカップ5回出場)が会談した。ジョーンズが年間グランドスラム時に使用したクラブの本数は16本、トーランスが1試合で使用したクラブの本数は最多12本で、ジョーンズが「中間をとって14本にしよう」とトーランスに告げ、トーランスがそれをR&Aルール委員長の[[ロバート・ハリス]]に伝え、これが1939年制定の規定へつながったという。
また、競技ゴルフを止めて6年ほど経ち、[[セント・アンドルーズ]]でプライベートに友人とプレーをしている時に、それを聞きつけた近所の住民 2,000人ほどが彼を一目見ようとコースに集まってきたというエピソードがある。1958年10月9日のスピーチでは、「セント・アンドルーズのコースを学べば学ぶほど、このコースをより深く愛するようになった。そして愛すれば愛するほど、より多くのことを学んだ。セント・アンドルーズでの経験さえあれば、たとえ生涯で得た他の全てのものを失っても、私の人生は本当に満たされている」と語っている<ref>「St. Andrews & the open championship」デビッド・ジョイ(ゴルフダイジェスト社)、124頁</ref>。
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