「ボビー・ジョーンズ (ゴルファー)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Nelson Booska (会話 | 投稿記録) m →人物 |
Nelson Booska (会話 | 投稿記録) m →人物 |
||
38行目:
== 人物 ==
[[ファイル:BobbyJonesAge14.jpg|thumb|100px|left|ボビー・ジョーンズ14歳の頃([[1916年]])]]
その自制心に富むプレー態度から
アマチュアでありながら実力は[[プロゴルファー|プロ]]を上回るほどで[[1930年]]、28歳のときに当時の世界4大タイトルを[[全英アマチュアゴルフ選手権|全英アマ]](セント・アンドルーズ開催、マッチプレイ形式で18ホールの7試合を行った後、36ホールの決勝戦を実施)、[[全英オープン (ゴルフ)|全英オープン]](ロイヤルリバプール)、[[全米オープン (ゴルフ)|全米オープン]](インターラッセンカントリークラブ)及び[[全米アマチュアゴルフ選手権|全米アマ]](メリオンゴルフクラブ)の順に優勝し、[[グランドスラム (ゴルフ)|年間グランドスラム]]を達成した。スポーツ界において「[[グランドスラム]]」という言葉が用いられたのはこれが最初とされる。6月20日、全英オープン最終日のジョーンズは不調であったが、16番ホールのグリーン手前のバンカーからの第3打で[[ホートン・スミス]](第1回マスターズ優勝者)から譲り受けたフェース面が凹面のウェッジ(現在は違法)を生涯唯一度試合で使用して、ピンそば2インチに寄せてバーディを奪って優勝争いに残り、この日75を叩くも、2位グループに2打差の通算291、3オーバーパーで優勝した。同年、全米アマチュア最高の賞である第1回[[ジェームスサリバン賞]]を受賞し、年間グランドスラム達成の7週間後、28歳で競技生活から引退した。
|