「トーマス・ヘンダーソン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
MomijiRoBot (会話 | 投稿記録)
m Bot: α → α ,Replaced HTML character entity reference to the equivalent character/string∵Check Wikipedia #11
1行目:
'''トーマス・ヘンダーソン'''(Thomas James Henderson、[[1798年]][[12月28日]] - [[1844年]][[11月23日]])は[[スコットランド]]生まれの天文学者。太陽に一番近い恒星[[ケンタウルス座アルファ星|ケンタウルス座αα星]]の視差を測定したことで知られる。最初のスコットランド王室天文官となった。なお、小惑星(3077)の[[ヘンダーソン (小惑星)|ヘンダーソン]]は、彼に因んで命名された。
 
[[ダンディー (スコットランド)|ダンディー]]に生まれる。法律を学んだ。趣味で天文観測と数学を研究した。月の隠蔽を使って経度を求める方法を考案したことで、当時イギリス海軍の『天文年鑑』発行の監督官をしていた[[トーマス・ヤング]]に注目され、天文学の職を得ることができた。ヤングは自分の死後、ヤングの職をヘンダーソンに継がせることを推薦した手紙を残した。南アフリカの[[喜望峰]]の天文台の観測者になり、そこで1832年4月から1833年5月まで多くの星の観測を行い、その中にはケンタウルス座αα星があった。
 
1830年代の天文学の関心事は[[年周視差]]を観測して、恒星までの距離を誰が最初に求めるかということで、ヘンダーソンは最も太陽系に近い星であるケンタウルス座αα星を測定したことにより有利な立場にあった。イギリスに戻り、測定結果を整理して、3.25[[光年]]にあると結論したがこれは実際の距離より30%ほど小さいものであった。
 
測定装置に自信がなかったので発表をためらっているうちに、1838年に[[フリードリッヒ・ベッセル]]が[[はくちょう座61番星]]の視差を測定しその距離を10.4光年(約10%ほど小さい)であることを発表したため、最初の視差の発見者の栄誉はベッセルのものとなった。ヘンダーソンは自らの結果を1839年に発表した。