「マイアミ・マーリンズ」の版間の差分
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1999年より、投資家として成功していた[[ジョン・ヘンリー (投機家)|ジョン・W・ヘンリー]]がチームを買収し、マーリンズのオーナーとなる。ヘンリーは旧来的な考えが根強いアメリカ球界で、[[セイバーメトリクス]]に基づいた合理的な球団運営を行えば成功できると考えていたが、球団の実情はヘンリーが想像していた以上に深刻だった。そのため早くも身売りを目論む。
2002年、オーナーのヘンリーは[[ボストン・レッドソックス]]に乗り換えるべく[[ワシントン・ナショナルズ|モントリオール・エクスポズ]]のオーナーだった[[ジェフリー・ローリア]](現オーナー、ニューヨークで[[画商]]を営む)が買うという球団の三角売買が行われた。その結果、球団創設時からGMを務めた[[デーブ・ドンブロウスキー]](現:レッドソックス)も放出され、GM以下、スタッフはエクスポズのメンバーで占められることになった。選手も[[ティム・レインズ]]親子が入団、
2003年はシーズン途中から監督に就任した[[ジャック・マキーオン]]の下、ワイルドカードでプレーオフへ進出してリーグ優勝を達成。ワールドシリーズでは[[ニューヨーク・ヤンキース]]を4勝2敗で破り、2度目の世界一に輝く。しかしこの時も、直後のオフシーズンで[[デレク・リー]]をトレードへ放出するなど主力選出の放出、FA移籍が相次いだ。
2005年シーズン終了後に監督のマ
2006年、監督に元ニューヨーク・ヤンキースの捕手[[ジョー・ジラルディ]]が就任。5月末時点では11勝31敗と借金20を抱えていたが[[9月3日]]には勝率を5割に戻し、最終的には地区4位に終わったものの一時はワイルドカード争いに顔を出すまでの追い上げを見せた。20もの借金を抱えたチームが一時的であれ勝率5割まで持ち直したのは、1899年の[[ルイビル・カーネルズ]]([[ホーナス・ワグナー]]で有名)以来'''107年ぶり'''の快挙だった。しかし、ジラルディはオーナーと真夏の試合中に口論し、機嫌を損ねたオーナーにシーズン終了後に解雇された(後にヤンキースの監督に就任)。
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