「ヴァレリウス・コルドゥス」の版間の差分

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1542年にドイツ、イタリアで薬草の研究を行い、同時に『Dispensatorium薬法書』を編集し、[[ニュルンベルク]]市に提供した。ニュルンベルク市は報酬を払い、1546年に『Dispensatorium薬法書』は1巻本で出版された。薬局方としては1498年にフィレンチェ医師・薬剤組合が作成したものがあるが、公定された薬局方としてはヨーロッパ最初のものとなった<ref>『国際薬学史』山川浩司 南江堂(2000年)</ref>。1544年にヴィッテンベルク大学から医学号を受け、同年、5巻の植物誌、''Historia Plantarum''を製作した。植物学的な解説と薬学的な解説がなされていた。
 
1544年の夏、ヒエロニムス・シュライバーとフランス人博物学者2人とイタリアに調査旅行に赴き、植物の採集のために湿地に入り込み、熱病に罹患した。ローマに運ばれたが同地で死亡した。没後、De Extractione やHistoria Stirpium et Sylvaなどのコルドゥスの著作は[[コンラート・ゲスナー]]によって出版された。
 
[[ムラサキ科]]の属、[[カキバチシャノキ]]属 (''Cordia'') に[[献名]]されている。
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[[Category:16世紀の植物学者]]