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=== 発生機構の解明 ===
18世紀までは生物の体はあらかじめ完全な形で形成されているという'''[[前成説]]'''が有力であった。[[顕微鏡]]を作成した[[アントニ・ファン・レーウェンフック|レーウェンフック]]は様々な動物の[[精子]]を観察し、精子の中には完全な形をした[[ホムンクルス]]が入れ子になっているという前成説を支持した。これに対して、ヴォルフは1759年にニワトリ卵にいて器官の原基が小さい球体として生じる詳細を説明して、最初から器官の形が存在する訳ではないことを明確に述べた。これが[[後成説]]の成立と見なされる。その後19世紀には後成説がほぼ認められるようになった。
 
実質的なこの分野での発展は、[[ヴィルヘルム・ルー]]による[[実験発生学]]によって始まる。ルーは発生の各段階の胚にさまざまな刺激を与え、それによる胚発生の変わり方を見ることで、発生機構を解明しようとした。たとえば、彼の実験で有名なものに、カエルの卵の二細胞期に、片方の割球(細胞のこと)を加熱した針で殺す、というものがある。その結果、残りの割球は発生を続け、半分の形の胚ができた。このことから、彼は第一卵割の時に胚の左右の分化が起きると結論づけている。この実験は、割球を取り除くと完全な胚が生じるため、この結論は正しくないが、このような方法で発生の仕組みに迫ろうとしたものである。