「寛永の大飢饉」の版間の差分

島原の乱から寛永の飢饉、[[牢人]]の不満を背景として[[徳川家綱]]への代替わりの時に起こった討幕計画である[[慶安の変]]などを契機に幕府は武断政治の限界を思い知らされた。そして農政は倹約から百姓撫育(百姓成立ともいう。すなわち百姓が戦乱と飢饉から解放されて、安定した生活を営めるような状況の確立)へと転換し、諸大名に課せられていた普請役は激減した。また諸藩も遅れて[[藩政改革]]に乗り出した。
 
== 脚注 ==
<references/>
== 参考文献 ==
{{No footnotes|section=1|date=2016年9月}}