「ガリア人」の版間の差分

記事の整理
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
(記事の整理)
{{otheruses|古代ヨーロッパの民族|パプアニューギニアの民族|ガリア族 (パプアニューギニア)}}
{{複数の問題
| 出典の明記 = 2017年1月
| 脚注の不足 = 2017年1月
}}
'''ガリア人'''({{lang-la|Gallī}} ガッリー、[[フランス語]]:Gaulois ゴルワ)は、[[ケルト語派]]を話すいわゆる[[ケルト人]]のうち、[[ガリア]]地域に居住して[[ガリア語]]あるいは[[ゴール語]]を話した諸[[部族]]の人々を指す。
 
古代ローマ人は、ローマ側による呼称「ガリア人」 (Gallī)と「ケルト人」 (Celtae) をおおむね同義として扱った。しかし、いわゆるケルト人の中でも、[[アナトリア半島|小アジア]]に移住したケルト人([[ガラティア]]人)や[[ブリテン島]]の諸部族に対してガリア人は明らかに区別することができる。
 
== 歴史 ==
ガリア諸部族(ガリア人)は、長い期間にわたって互いに反目しあい、統一されることはなかった。[[紀元前390年]]頃には[[共和政ローマ]]に侵攻、首都ローマ市近郊での[[アッリアの戦い]]で完勝、ローマ市内を蹂躙している。しかし[[紀元前58年]]に[[ヘルウェティイ族]]の西進を契機として、ローマの武将[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]がガリアに侵攻([[ガリア戦争]])。これに対する諸部族の反応は、応戦・帰服と変転したが、紀元前54~52年頃に[[アルウェルニ族]]の[[ウェルキンゲトリクス]]を盟主として一致団結して大反乱を起こした。そして一時はカエサルを窮地に追い詰めたが、最終的にはカエサルに敗れ去った。
 
現代のフランス人には、ガリア人を自分たちのルーツ・祖先として意識している者もいる。このため、東欧系・[[アラブ人|アラブ系]]・トルコ系・アフリカ系の移民系フランス人や、[[ユダヤ人|ユダヤ系]]フランス人、ドイツ系の[[アルザス人]]に対して、フランスにルーツを持つ白人をゴルワ (Gaulois) 、つまりガリア人と呼び分けることがある。
 
== 著名なガリア人の人物 ==
* [[ブレンヌス]](セノネス族)
* [[ウェルキンゲトリクス]](アルウェルニ族)
* [[リスクス]](アエドゥイ族)
 
==関連項目 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{commons|Category:Gauls|ガリア人}}
{{Reflist}}
*[[ガリアの部族一覧]]
*[[ガリア起源説]]
 
== 参考文献 ==
*カエサル 『[[ガリア戦記]]』 講談社〈講談社学術文庫〉、あるいは岩波書店〈岩波文庫〉。
*『[[言語学大辞典]]』第1巻、三省堂。
*:ゴール語の項は、ガリア語とゴール語の違い、ケルト諸語との関係に詳しい。
 
== 関連項目 ==
{{commons|Category:Gauls|ガリア人}}
*[[ガリアの部族一覧]]
*[[ガリア起源説]]
 
{{Celts}}
匿名利用者