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[[916年]][[3月17日]]の第2次即位において国号をキタイ=契丹とし、[[元号]]を[[神冊]]と定め、キタイ人の王朝を建国した。太祖は北宰相に[[蕭実魯]]、北院夷離菫に[[斜涅赤]]、南府宰相に[[耶律蘇]]、南院夷離菫に[[耶律迭里]]を任じ、国家運営を進めていく事になる。
 
西の[[突厥]]・[[吐谷渾|吐渾]]・[[小蕃]]・[[卜]]・[[タングート]]・[[ウイグル]]・[[沙陀族|沙陀]]諸部、北の女真、南の中国10余州、東の渤海を討って服属・占領、長子[[耶律突欲|突欲]](劉倍)を封じて[[東丹国]]を作った。[[渤海 (国)|渤海]]との戦役からの帰路の途中で病没した。
 
遊牧民と定住民を別の機構で統治する二重統治体制、遊牧所領内にも多くの都市を建設するなど、遊牧国家に農耕国家の機構を取り入れ、[[匈奴]]以来の遊牧国家機構をより強固なものとした。また、[[920年]]には大小2種の[[契丹文字]]を制定した。