「尚真王」の版間の差分

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Tanuki32 (会話 | 投稿記録)
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[[1476年]]に第二尚氏王朝を開いた尚円王が没すると、実子のマアカトダルが幼かったため、王弟の[[尚宣威]]が王位に就いた。ところが半年後に行われた即位式で新国王を讃えるはずのキミテズリ神からマアカトダルを讃える神託を下された。これにより、宣威王は退位し、12歳のマアカトダルが[[尚真王]]として即位し以後50年にわたり統治する。これは王府の女官に力を持っていた母后[[オギヤカ]]の陰謀と考えられている。<ref>新城俊昭「琉球・沖縄史」東洋企画</ref>
==中央集権体制の確立==
初期の頃は幼少であり、母后 、[[宇喜也嘉]]が政務を見ていたという記録が、当時琉球に漂着した朝鮮人の記録にも見える。<ref>新城俊昭「琉球・沖縄史」東洋企画</ref>
 
50年にわたった尚真王の最大の事跡は、[[中央集権]]体制を確立し、第二尚氏王統の権力基盤を安定させたことである。