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{{独自研究|date=2008年8月6日 (水) 10:12 (UTC)}}
{{国際化|領域=[[日本]]|date=2007年9月16日 (日) 03:15 (UTC)}}
'''エネルギー革命'''(エネルギーかくめい)とは、主要に使用されている[[エネルギー資源]]が他の資源へと急激に移行すること<ref>[[広辞苑|『広辞苑』]]第6版([[岩波書店]])、「エネルギー革命」の項を参考。</ref>を指す。
 
== 第一次エネルギー革命と依存 ==
「[[革命]]」という言葉の定義上、「石油が枯渇しそうだから[[原子力]]を使う」といった意味で使うことは誤りで、「より効率の高い新エネルギー資源の実用化により旧来の資源が必要とされなくなった」という意味において使用されるのが正しい。
第一次エネルギー革命とは人類が[[火]]を発見し利用するようになったことをいう<ref name="oilgas">{{Cite web |author=田中紀夫 |url=https://oilgas-info.jogmec.go.jp/pdf/0/546/200311_053a.pdf |title=エネルギー文明史 |publisher=石油天然ガス・金属鉱物資源機構 |accessdate=2017-01-21}}</ref>。
 
人類が最初に利用していたエネルギーは太陽、風力、人力などであった<ref name="oilgas" />。考古学上では少なくとも50万年前の中国の北京原人(シナントロプス)の頃には火を保存したり火を作ることができるようになったと考えられている<ref name="oilgas" />。
日本現代史において石炭から石油への切り替えを指すことが多い。世界史では、[[ベンガル]]・[[ボルネオ]]・[[ナタール]]を産地とする石炭がイギリスをして世界船舶燃料の供給を独占させていたところ、[[第一次世界大戦]]後に米ソが石油開発を進めた結果、イギリスの海上覇権が揺らいだことが分かっている。
 
==主な 第二次エネルギー革命のステップ ==
第二次エネルギー革命とは人類が蒸気と化石エネルギーを利用するようになったことをいう<ref name="oilgas" />。18世紀後半になると石炭を利用する蒸気エネルギー機関が発明され、自然エネルギーしか使わなかったそれまでの手作業の長閑な社会は激変した<ref name="oilgas" />。
===木から木炭へ===
* [[青銅]]や[[鉄]]の[[鋳造]]が可能となった。
 
イギリスではヨーロッパ大陸の諸国よりも森林の少なかったため、製鉄業は薪炭を求めて移動したが、16世紀にはエネルギー不足となっていた<ref name="oilgas" />。イギリスでは木材価格が上昇し始めたため他国よりも真剣に他のエネルギーを探す必要に迫られた<ref name="oilgas" />。そこで注目されたのは、黒い固まりの石炭エネルギーで、イギリスでは石炭エネルギーへの移行により他国に比べて50年も早く第1次産業革命を起こすこととなった<ref name="oilgas" />。
===木炭から石炭へ===
* [[蒸気機関]]の発達を促した。
* [[産業革命]]を促進し、先進国の工業化を後押した。
 
== 第三次エネルギー革命 ==
===石炭から石油へ===
第三次エネルギー革命とは人類が石油や電気を組み合わせて利用するようになったことをいう<ref name="oilgas" />。
* [[内燃機関]]の発達を促した。
* 各種産業の高度化を促した。
 
==日本= 欧米で石油エネルギー革命への転換 ===
1886年には[[ゴットリープ・ダイムラー]]が内燃機関を自動車に搭載して石油が自動車の動力に利用されるようになり、1896年にはヘンリー・フォードがガソリン車(T型フォード)を大量生産し始めると、一般大衆にガソリン自動車が普及することになった<ref name="oilgas" />。
 
アメリカで灯油や軽油を使うトラクターが農業分野に登場すると、大量収穫が可能となり、人力と畜力による伝統農業は石油を使う現代農業へと移行することとなった<ref name="oilgas" />。
 
アメリカでの自動車登録台数は[[1929年]]には2310万台となり、世界の石油自動車の78%を占め、公共鉄道は次第に衰退した<ref name="oilgas" />。
 
=== 日本での石油エネルギーへの転換 ===
日本における「エネルギー革命」とは、一般的には[[第二次世界大戦]]後の[[1960年代]]に、それまで燃料の主役であった[[石炭]]から[[石油]]や[[天然ガス]]へ転換されたことを指す。
 
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家庭用のエネルギーに関しては、1950年代においてもなお、多くの家庭の暖房や炊事に[[木炭]]や[[薪]]などの木質エネルギーが用いられていた。1950年の木炭の生産量は年間約200万トン<ref>[http://www.rinya.maff.go.jp/j/tokuyou/tokusan/megurujoukyou/pdf/3mokutan.pdf 木炭関係資料p2 1木炭の消費・生産等の推移 (1)戦後の消費量、生産量、輸入量の推移](林野庁ホームページ)2016年9月27日閲覧</ref>、1956年の薪の生産量は3,400万層積石(1層積石を125kgで換算すると約425万トン)、統計に反映されない自家生産分や[[製材所]]の[[おがくず|鋸くず]]、端材などの二次利用分を考慮すれば、膨大なエネルギーを国内の森林から調達していた<ref>[http://www5.cao.go.jp/keizai3/keizaiwp/wp-je57/wp-je57-020601.html 昭和32年度年次経済報告 昭和31年度の林産物の動向](経済企画庁)2016年09月27日閲覧</ref>。これら木質エネルギーは、この後、急速に石油、ガス、電気などに移行。薪炭の生産量は、1970年代までにかつての1/10といった桁違いの減少を見せた。家庭内のエネルギー革命は、家庭内の無煙化や[[家事]]労働の低減など近代的な生活環境をもたらしたが、一方、山間奥地の木質エネルギー生産の場からは多くの収入と雇用の場が消失するという打撃となり、離農や[[過疎化]]が急速に進んだ<ref>{{Cite book |和書 |author= |year=2014 |title=穂別高齢者の語り聞き史(昭和編)大地を踏みしめて 下  冨内駅・物流拠点としての役割|page=p213 |publisher=穂別高齢者の語りを聞く会 }}</ref>。
 
=== 石油資源の行方 ===
==エネルギー革命と依存==
石油危機以降、石油輸出国機構(OPEC)に対する危機感と原油価格の高騰により、世界各地で探鉱活動が活発になるとともに、石油探査・生産技術が向上したこともあり石油の可採埋蔵量が増加することとなった<ref name="oilgas" />。しかし、化石エネルギーが有限資源であることに変わりなく辺境の土地や海洋での探鉱、[[オイルシェール]]や[[タールサンド]]などの採掘に対象が移ると考えられている<ref name="oilgas" />。
エネルギー革命は、その地に属する基礎となる物質の偏在から、特定の物をめぐる産出国への依存・輸入にたよる経済状態へと変革せざるを得なくなった。
 
生木から木炭への変革は、構造の変革なので偏在は問題とならなかったが、石炭への変革は非産出国家が輸入に頼らざるをえない状況を生み出した。
 
石炭の場合はそれほど偏在するものでもなかったが、主体が石油に替わるとますます偏在が顕著になり、産出する地域をめぐる争いは苛烈にならざるをえないものになった。
 
そのことによって、石油産油地域を巡る帝国主義諸国の争いは、兵器の発達とともに第二次世界大戦において頂点に達する。
 
この構造は、21世紀にいたってもかわっておらず、それらの地域をめぐる争奪戦は現在においても続けられている。
 
そのことは、それはアメリカ合衆国とイギリスがイラクに侵攻した[[イラク戦争]]や、ロシアがグルジアに侵攻した[[南オセチア紛争 (2008年)|南オセチア戦争]]にも現れている。
 
==出典==