「バヌアツ」の版間の差分

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== 歴史 ==
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バヌアツの島々には、数千年前に[[オーストロネシア語族]]の人々が渡来してきて定住し始めたと考えられている。その最古の[[遺跡]]は、約4000年前のものだと推定されている。[[1452年]]から[[1453年]]にかけて、[[海底火山]]{{仮リンク|クワエ (海底火山)|en|Kuwae|label=[[クワエ}}]]の大噴火が複数回起こり、世界の歴史に大きな影響を与えた。[[File:Neue Hebriden 140543a.jpg|thumb|left|180px|[[ニューヘブリディーズ諸島|ニューヘブリディーズ]]の地図([[1905年]])]][[ヨーロッパ]]人で最初にこの島を訪れたのは、[[ポルトガル]]人の[[ペドロ・フェルナンデス・デ・キロス]]で、[[1606年]][[4月27日]]にサント島に上陸している。ヨーロッパ人による植民が始まったのは、[[ジェームズ・クック]]による調査が行われた[[18世紀]]末以降のことである。[[1774年]]、クックがこの地域を[[ニューヘブリディーズ諸島|ニューヘブリディーズ]]と命名した。[[イギリス]]と[[フランス]]の間で衝突が繰り返された後、[[1906年]]に両国は、ニューヘブリディーズ諸島を共同統治領とすることに合意した。
 
[[1960年代]]、バヌアツの人々は自治と独立を要求し始め<!-- 以下復帰部分 -->たが、[[英語]]系と[[フランス語]]系の島民が対立し、[[1974年]]にフランス語系の[[タンナ島]]で[[タンナ共和国]]<!-- [http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/vanuatu.html]-->として独立を宣言した([[フランス軍]]による島の制圧で終わった)。[[1975年]]にはサント島を中心とした島々で[[ナグリアメル連邦]]として分離独立の宣言も起きた。[[1980年]]に入るとバヌアツの独立を求める声が高まったが、タンナ島で再び[[タフェアン共和国]]として独立運動が起きた(これは[[イギリス軍]]の制圧で分離独立運動は終結した)。[[8月21日]]には[[エスピリトゥ・サント島]]のフランス語系住民が独立に反対し分離運動が起き、[[ベマラナ共和国]]と名付け分離独立が起きた。<!-- 以上復帰部分 -->