「田子ノ浦部屋」の版間の差分

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16代田子ノ浦は自身の年寄名跡変更および部屋名の改称を行ったものの、[[千葉県]][[松戸市]]にある鳴戸部屋の施設は13代鳴戸夫人が所有しているため、田子ノ浦部屋一同はそれまで使用してきた部屋の施設からの転居を余儀なくされた<ref>[http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20131227-1236539.html 稀勢、27年間の人生で初めての1人暮らし] [[日刊スポーツ]] 2013年12月27日記事</ref>。そこで、16代田子ノ浦は2013年12月26日に、部屋の施設を[[東京都]][[江戸川区]][[東小岩]]に新設するまでの約半年間の予定で、同年10月に閉鎖された[[三保ヶ関部屋]]の施設を借り受ける形で部屋を東京都[[墨田区]]へ急遽移転した<ref>この時点で旧・田子ノ浦部屋の稽古土俵は撤去されており、新・田子ノ浦部屋一同が稽古場として利用することは不可能だった。
:[http://www.sanspo.com/sports/news/20131226/sum13122605000000-n1.html 鳴戸部屋消滅…綱取り稀勢、流浪生活?稽古場がない!] [[サンケイスポーツ]] 2013年12月26日記事 </ref>。その後、当初の予定よりも新しい部屋施設の完成は遅れたものの、2014年12月14日に新築した施設での部屋開きを行った。
2017年1月場所で稀勢の里が幕内最高優勝をたして、前身の鳴門部屋時代を含めて初めて幕内最高優勝力士を輩出した。
{{main2|それ以前の歴史|鳴戸部屋}}