「義士祭 (東京都港区)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 修正
出典追加。加筆・修正。
6行目:
 
== 祭りの内容 ==
泉岳寺には[[赤穂浪士]]と[[浅野長矩]]夫妻の墓があり、義士祭では墓前で読経供養がなされ、多くの一般参詣者が焼香に訪れる<ref name="年中" />。献茶式も行われる<ref name="神戸" />。当日の[[泉岳が行う駅]]から寺まで法要だけだがかなり混雑するという<ref name="歳時記">長沢利明『江戸東京歳時記』吉川弘文館19772001時点では付近に100ほどの露店が並びpp.206-207。</ref>。また50000人義士行列というパレードも行われている([[#義士行列|後述]])<ref name="年中" />。そのか、上野公園五条天神では赤穂浪士の遺品の展示会開かていた、「討ち入り射会」という[[弓道]]の競技会も催される<ref name="朝日1977" >『[[朝日新聞]]』1977年12月14日16面(東京朝刊)。</ref>。
 
また、義士行列というパレードも東京で行われる<ref name="年中" />。そのほかため上野公園の五条天神では赤穂浪士の遺品の展示会が開かれ、「討ち入り射会」全体いう行事して[[吉良義央]]に対して催され好意的なことが特徴である<ref name="19771999a">『[[日新聞]]』19771999年12月141516面地方版東京朝刊)。</ref>。義士祭と同時に「吉良祭元禄市」という祭りも行われ、吉良義央に対する供養が行われている<ref name="朝日2013" />。
 
東京で行われるため、全体として[[吉良義央]]に対しても好意的なことが特徴である<ref name="毎日1999a">『[[毎日新聞]]』1999年12月15日(地方版東京)。</ref>。
 
=== 義士行列 ===
泉岳寺の義士祭では、討ち入り装束を着た人々が[[本所松坂町公園|吉良上野介邸跡地]]から泉岳寺まで行進するパレードが行われ、これを「義士行列」と呼ぶ<ref name="年中" />。行列では、[[山鹿流]]の陣太鼓が用いられる<ref name="歳時記" />。こうした義士行列は、[[北海道]][[砂川市]]の[[北泉岳寺]]などでも行われている<ref name="年中" />。
 
行進のルートが[[都営地下鉄浅草線|浅草線]]のルートとかぶるため、1992年の段階では、徒歩での泉岳寺に向かう代わりに浅草線が使用されるようになっていた<ref name="地下鉄">デニス・ショウ・諸河久『[https://books.google.co.jp/books?id=nF2a3rlf76sC&pg=PA46&dq=%E7%BE%A9%E5%A3%AB%E7%A5%AD&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiLk-nhp9PRAhUMU7wKHT4kAcoQ6AEINDAF#v=onepage&q=%E7%BE%A9%E5%A3%AB%E7%A5%AD&f=false 東京の地下鉄]』[[保育社]]、1992年、p.46。</ref>。そのため、義士祭の日の[[東日本橋駅]]では、槍や刀を持って衣装に身をつつんだ人々が電車を待つ姿を目にすることもあったという<ref name="地下鉄" />。ただし、2016年冬の義士祭では、47人の義士行列、[[中央区 (東京都)|中央区]]役所前から泉岳寺までの約7キロの道を歩いている<ref name="AFP">{{Cite web|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3111348|title=赤穂四十七士がパレード、泉岳寺で大歓声|author=|publisher=[[フランス通信社|AFP通信]]|date=2016-12-14|accessdate=2017-01-21}}</ref>。
 
義士行列も2013年時点で約60年の歴史を有し、現在は[[財界二世学院]]の主催で行われている<ref name="朝日2013" />。
 
== 歴史 ==
[[1950年]]から開催されている<ref name="朝日2013">『朝日新聞』2013年12月15日朝刊29面(東京西部朝刊)。</ref>。1953年冬の義士祭は、戦災で消失し、その後、再建された本堂の落成式も兼ねていた<ref name="朝日1953">『朝日新聞』1953年12月14日3面(東京夕刊)</ref>。1977年時点では、付近に100ほどの露店が並び、50000人ほどの人が訪れていたという<ref name="朝日1977" />。1972年からは吉良祭も同時に開催されるようになった<ref>『毎日新聞』1987年12月15日14面(東京夕刊)。</ref>。

1999年冬の義士祭においては、同年の大河ドラマ『[[元禄繚乱]]』で大石内蔵助役を演じた[[中村勘九郎 (6代目)|中村勘九郎]]らによるトークショーも行われている<ref name="毎日1999b">『毎日新聞』1999年12月7日5面(東京夕刊)。</ref>。
 
2016年の義士祭では、[[大石良雄|大石大石内蔵助]]らが切腹したと伝えられる[[熊本藩]]藩屋敷の跡地の公開も行われた<ref name="神戸">{{Cite web|url=http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201612/0009751071.shtml|title=東京・泉岳寺で義士祭 忠臣蔵ファンら集う|author=|publisher=[[神戸新聞]]|date=2016-12-14|accessdate=2017-01-20}}</ref>。この場所は、泉岳寺から北に数百メートルほど離れており、普段は非公開となっている<ref name="神戸" />。同年の義士祭では、津軽三味線奏者で浅野長矩の子孫だという[[浅野祥]]によるミニライブも行われた<ref name="デイリー">{{Cite web|url=http://www.daily.co.jp/gossip/2016/12/15/0009752111.shtml|title=浅野祥“討ち入り”ライブ 先祖ゆかりの「赤穂義士祭」で|author=|publisher=[[デイリースポーツ]]|date=2016-12-15|accessdate=2017-01-22}}</ref>。
 
義士行列も2013年時点で約60年の歴史を有し<ref name="朝日2013" />1977年時点の義士行列の主催者は、東日本橋にあった繊維問屋の[[日本綿毛]]であった<ref name="朝日1977" />。現在は[[財界二世学院]]の主催で行われている<ref name="朝日2013" />。
 
== 脚注 ==
31行目:
* [[泉岳寺]]
 
{{stub}}
{{DEFAULTSORT:きしさい}}
[[category:赤穂事件]]