「小塚郁也」の版間の差分

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早稲田大学では故吉村健蔵教授の下で現実主義国際政治学を専攻し、学部時代から中東の安全保障問題を一貫して研究。1991年の湾岸戦争勃発とソ連崩壊による冷戦後国際安全保障システムの激動を契機に、防衛研究所に入所して以来、2001年の9.11アメリカ同時多発テロ事件後のアフガニスタン紛争や2003年イラク戦争の際には、NHK等の報道番組への出演、新聞雑誌等を通じて地域情勢を解説。以後外務省や経済産業省からの委託研究プロジェクトや教育に複数参加、国内外の講演等でリアリズムに依拠した自説を展開している。
 
'''<big>主張</big>'''
 
・ イラク戦争の際には、小塚は短期間での米軍の勝利と首都バグダッドの陥落を主要メディアで主張した。だが、その後のイラクの政治および治安の長期的混乱を予想しておらず、自衛隊の派遣についても自己の海外派遣の経験と日米同盟強化の観点から肯定的な見解を述べた(『朝雲新聞』)。
 
・ 現在ではイラク戦争に関する自己の甘い見通しの反省により、単なる領域国民国家の安全保障を前提としたリアリズムやリベラル制度主義を脱却して、小塚は宗派や部族、民族に依拠する「共同体」の安全保障こそが中東安定化に必要であるとの見解に立っている。
 
・ したがって、第一次世界大戦中の1916年に秘密協定として締結されたサイクス・ピコ協定以後英仏両国によって創設され、第二次大戦後アメリカによって引き継がれた領域国民国家に基づく中東安保体制は、IS(イスラーム国)台頭とアメリカの撤退によって既に崩壊過程に入っていると小塚は考えている。そのため、イラクとシリアは領域主権国家としては存続できず、最終的にはクルド人自治区を含む3つ、ないし4つの地域に分断されると予想する(「複合的危機に陥った中東の安全保障環境」ブリーフィング・メモ、''NIDS NEWS''、2016年6月号)。
 
'''<big>人物</big>'''
 
・ 厚木高校では1年生の時に、小塚は個性派俳優として活躍している六角精児(ろっかく せいじ)と同級生であった。
 
・ 早稲田大学政経学部在学中、小塚は個性的な大学公認サークルであった民族舞踊研究会に4年間所属。主にバルカン半島のフォークダンスを、日本女子大フォークダンス研究会とともに踊っていた。
 
'''<big>脚注</big>'''
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