「ティアゴ・モンテイロ」の版間の差分

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=== F1 ===
2005年2月1日、(前月にミッドランド・グループによって買収された)[[ジョーダン・グランプリ]]とのレギュラードライバー契約を発表し、ついにF1に辿り着いたレギュラーシートを得る
 
; 2005年
[[画像:Monteiro (Jordan) qualifying at USGP 2005.jpg|thumb|right|250px|2005年アメリカGP]]
開幕当初はマシンの低いポテンシャルから地味なイメージで目立たなかったが、気がつけば開幕戦から第16戦まで連続完走(当時の記録では新人として史上最多、歴代でも2位)を果たすなど、開幕前には誰も期待していなかった折り紙付きの安定性を発揮した。第17戦[[ブラジルグランプリ|ブラジルGP]]では惜しくも残り15周でエンジンブローに見舞われたものの、モンテリタロは挫けることなったが、続く残り2戦では着実に完走を果たし「年間18戦完走」というF1史上初の偉業記録し遂げた
 
2005年連続完走を続けていた中での第9戦[[アメリカグランプリ|アメリカGP]]では、[[ミシュラン]]タイヤ勢のタイヤトラブルに絡んだよる大量出走取止めもあり、思わぬ形でポルトガル人初となる3位表彰台を獲得することとなった。同時にこのレースで3位に入賞し6ポイントを獲得したことで、それまでポルトガル人F1ドライバーの中で唯一ポイントを獲得していたペドロ・ラミー(通算1ポイント)を抜き、F1におけるポルトガル人でF1における獲得ポイント数トップ1位のドライバーとなった。このレースの表彰台では、1位の[[ミハエル・シューマッハ]]、2位の[[ルーベンス・バリチェロ]]が喜び少なく表彰台を後にしたのを尻目に、1人でシャンパンファイトを繰り広げ大はしゃぎしていた。<!---この出来事がきっかけで国内外にモンテイロのファンが急増したのも事実である。{{要出典}}-->
 
また、決して手を抜いた走りで完走を続けているわけではないということを、ウェット・コンディションとなった第16戦[[ベルギーグランプリ|ベルギーGP]]で8位入賞「実力」でポイントを奪ったことで証明してみせたゲットこれはマーズの能力が普段ミナルディチームと最下位争うほどに劣ることを考慮すると賞賛に値するものであった。それ以外のレースの多くで、通してチームメイトの[[ナレイン・カーティケヤン]]に先行より好結果を残し、遅咲き同年ドライバーながらもF1で十分通用する速さを証明した。2005年はルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。
 
; 2006年
[[画像:Tiago Monteiro 2006 April.jpg|left|thumb|M16をテストするモンテイロ(2006年4月)]]
2006年はジョーダンから生まれ変わった[[MF1レーシング]]のドライバーとして残留するが、前年とは打って変わって違い安定性が見られず、組織が変更されたチームの中スポンサーの関係もありの影響を受け孤立してしまっていた。
 
[[画像:MF1 Collision (crop).PNG|thumb|アルバースに追突するモンテイロ(カナダGP)]]
チームメイトの[[クリスチャン・アルバース]]と相性いらしレース中にオープニングラップで3回([[モナコグランプリ|モナコGP]]、[[カナダグランプリ|カナダGP]]、アメリカGP)同士討ちの接触事故を起しているが発生。モナコではフロントウイングを折りピットイン、カナダではアルバースがリタイヤ、アメリカではもらい事故のような格好で接触、後にアルバースはリタイヤ、モンテイロ自身も[[佐藤琢磨]]と接触、リタイヤしている。
 
結果、こののミッドランドのマシン「[[ミッドランド・M16|M16]]」は戦闘力に欠け、決勝の最高位は[[ハンガリーグランプリ|ハンガリーGP]]の9位が最高成績で、となりポイントを獲得することは叶わできなかった。なお、この年のミッドランドの車両[[ミッドランド・M16|M16]]は戦闘力に欠け、チームメイトのアルバースも無得点に終わっている。
 
シーズン終了後の12月21日、2006年シーズン終盤にMF1を買収した[[スパイカーF1]]チームは翌年のラインナップをアルバースと[[エイドリアン・スーティル]]と発表<ref>[http://www.spykerf1.nl/?pag=89&newsid=243 Adrian Sutil joins Spyker F1] スパイカーF1公式サイトより。2006年12月21日付</ref>。モンテイロはF1におけるシートを失った。
 
2007年は[[世界ツーリングカー選手権]](WTCC)に参戦しながら2008年からのF1復帰を目指していたが<ref>[http://www.tiagoracing.com/default.aspx?go=32&c=104 Monteiro aims to keep race-sharp ahead of 08 F1 comeback] モンテイロ公式サイトより。2007年2月12日付</ref>、F1のシート復帰獲得できなかった。
 
=== WTCC ===