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{{出典の明記|date=2013年5月3日|ソートキー=人1712年没}}
[[画像:Giovanni Cassini.jpg|200px|right|]]
'''ジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニ'''(Giovanni Domenico Cassini、[[1625年]][[6月8日]] - [[1712年]][[9月14日]])は、[[イタリア]]出身の[[フランス王国|フランス]]の[[天文学者]]。パリ天文台の初代台長でもあった。[[ジェノヴァ共和国]]の[[ペリナルド]]で生まれ、[[1673年]]にフランスに帰化して'''ジャン=ドミニク・カッシーニ'''(Jean-Dominique Cassini)と名乗った。[[土星]]の4つの[[土星の衛星と環|衛星]]を発見したほか、[[惑星]]観測で様々な功績を残している。
 
* [[1665年]] - [[木星]]の自転周期を算出。
* [[1668年]] - 木星の4衛星の運行表を作成。
* [[1671年]] - 土星の衛星[[イアペトゥス (衛星)|イアペトゥス]]を発見。
* [[1672年]] - 土星の衛星[[レア (衛星)|レア]]を発見。
* [[1675年]] - [[土星の輪]]は複数の輪で構成されていることを発見(一番外側の隙間には[[カッシーニの間隙]]と名付けられた)。
* [[1680年]] - 月面図を作成。
* [[1684年]] - 土星の衛星[[ディオネ (衛星)|ディオネ]]を発見。
* 同上年 - 土星の衛星[[テティス (衛星)|テティス]]を発見。
 
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カッシーニは[[パンザノ]]の天文台に[[1648年]]から[[1669年]]まで勤めた。[[ボローニャ大学]]で天文学を教え、[[1671年]]に[[パリ天文台]]の天文台長になった。彼は新しい国になじむためジャン=ドミニク・カッシーニと名乗り、後にはこの名で呼ばれる方が多くなった。
 
[[ロバート・フック]]によれば、[[1665年]]までに[[木星]]の[[大赤斑]]を発見した。また、[[土星]]の4つの衛星を発見し、[[カッシーニの間隙]]の発見者([[1675(1675]])、木星の大気の[[差動回転]]の発見者でもある。
 
[[1672年]]、[[フランス領ギアナ|ギアナ]]の[[カイエンヌ]]に[[ジャン・リシェ]]を送り、パリでの観測結果との視差から地球と太陽間の距離を計測し、それを元に太陽系の大きさを計算する。
 
またカッシーニは、[[ガリレオ・ガリレイ]]の提唱による木星の衛星の食を利用する方法により、はじめて本格的な[[経度]]の計測に成功した。