「オウィディウス」の版間の差分

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存命中から絶大な人気を博したオウィディウスであったが、紀元後8年にアウグストゥス帝の命により[[黒海]]に面した僻地に追放され、そこで生涯を閉じた。追放の理由はよくわかっておらず、文学史上最も不可解な事件の一つである。オウィディウス自身は追放の原因を「一つの詩歌と一つの過誤(''carmen et error'')に帰す」とだけ書いた。その言葉の選びようが意味深長であるからかえって、その意図するところをめぐって、後代の学者たちが膨大な議論を積み重ねることになった。
 
ラテン文学史上は「[[ラテン文学#黄金時代|黄金の時代]]」の掉尾を飾る詩人とされる<ref name="高橋2008-16" />。オウィディウスの詩作品は後期古代から中世にかけての時代に多くの詩人に模倣され、[[西洋美術史|西洋美術]]と{{仮リンク|西洋文学|es|Literatura europea}}に絶大な影響を与えた。[[ウェルギリウス]]や[[ホラティウス]]よりは一世代若い世代に属する<ref name="高橋2008-16" />。彼らの時代から下ること数十年後の[[修辞学]]者[[クインティリアヌス]]はオウィディウスを'''最後のラテン恋愛悲劇作家'''と評した<ref name="Quint. Inst. 10.1.93">Quint. ''Inst.'' 10.1.93</ref>。
 
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