「横山光輝」の版間の差分

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オクヤマ (会話 | 投稿記録)
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自作品の映像化に関して、横山はその点については現実的かつ寛容で、商業作品は第一に経済的に成功させなければならないという点に対して理解を持っていた。[[白土三平]]が『ワタリ』について先に制作された映画版の表現や完成度への不満からテレビドラマ化を拒否し、手配されていたスタッフやキャスト、予算などが宙に浮いてしまった際に、代替企画の原作者として横山に急遽白羽の矢が立てられ、このために『飛騨の赤影』([[仮面の忍者 赤影]])の連載を開始し、こちらは正統派の[[忍者]]漫画であったのに対して、テレビドラマ版は東映スタッフが知恵を絞り原作とは大幅に毛色の異なる作品となりながらも、いずれも人気作品となった。
 
数多くの横山作品を原作として[[テレビアニメ]]・[[特撮]]などの映像作品が制作され、多くのクリエイターが横山の了承を得て大いに独自の手腕を振るっている。たとえば『[[マーズ (漫画)|マーズ]]』では、その最初のアニメ化(『[[六神合体ゴッドマーズ]]』)に際して、漫画作品の発表からかなりの時間が経ち、内容も時代に合わせて変える必要があるからとして、「すべてお任せしますから、自由に書いてください」と言われたことを[[シリーズ構成]]の[[藤川桂介]]は述べている<ref>藤川桂介『アニメ・特撮 ヒーロー誕生のとき』ネスコ/[[文藝春秋]]、[[1998年]] ISBN 4-89036-979-1、157-158頁。</ref>。一方で、自身の作品に対するポリシーやアニメ化された作品に対する観察眼も一貫したものを持っており、鉄人28号FXについては、雑誌のコメントで「鉄人のデザイン、物語ともどもににもっとわかりやすいものがよかったのでは?」という比較的辛口のコメントを残している。
 
30代の時点で、横山は既に漫画業界では大御所と呼ばれる存在になっていたが、内容の保守にとらわれず、過去の代表作の続編を作成したり、「今、読者が何を求めているのか?」を研究するために頻繁に映画館に足を運ぶという進取の人物であった。
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無類の[[競馬]]好きで、それが高じて[[茨城県]][[美浦村]]の牧場で自分の[[競走馬]]を飼っていた。馬主としては'''株式会社千早クラブ'''名義で登録していた、[[勝負服 (競馬)|勝負服]]の柄は緑、茶鋸歯形。また、所有馬の『ジャックボーイ』は1987年([[昭和]]62年)の第48回[[菊花賞]]にも出走している(結果は18頭中15着)。
 
[[麻雀]]にも強く、1981年には第12期麻雀名人(『[[週刊大衆]]』)のタイトルを獲得している。
 
[[喫煙|ヘビースモーカー]]としても有名。