「明石志賀之助」の版間の差分

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|生涯戦歴 = 不明
|幕内戦歴 = 不明
|優勝 = 0<ref>当時は優勝制度なし</ref>
|賞 = 0<ref>当時は三賞制度なし</ref>
|賞 =
|初土俵 = 不明
|新十両 = 不明
|入幕 = 不明
|引退 = 不明
|引退後 = 不明
|他の活動 = 不明
|趣味 = 不明
|備考 = 近代相撲の開祖
|作成日時 = 2015年10月13日
}}
'''明石 志賀之助'''(あかし しがのすけ、[[生没年不詳]]<ref>ただし、48歳で没したという[http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=11893&l=j 記録]が在る。</ref>)は、[[下野国]]宇都宮(現:[[栃木県]][[宇都宮市]])出身の元[[大相撲]][[力士]]。
 
江戸時代前期に実在した人物とされ、[[日本相撲協会]]が2015年現在で初代横綱に認定している。従来の力技だけでなく相撲の技に関しても多く研究し、現在でも基本とされている[[四十八手]]の技を考案した人物とも言われている。
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[[1900年]]に陣幕久五郎が発起人となり[[富岡八幡宮]]に建立された[[横綱力士碑]]に歴代横綱を列挙した際、初代横綱として明石志賀之助の[[四股名]]を刻んだ。
 
明石によって最初に行われたとされる相撲に関する出来事や慣習も、全て後代の伝承や講談によるもので信憑性がかなり低く、さらには信頼できる資料では明石の実在すら確認されたことが無い。ただし、明石志賀之助のものとされる'''[http://matomeburo.blog.fc2.com/img/entry_img_37a.jpg/ 手形が遺されている]'''。[[池田雅雄]]は「歴代横綱正伝」(ベースボール・マガジン社『相撲』1971年1月号以下)などで明石の実在を否定しており、[[能見正比古]]は『横綱物語』(講談社、1975年)で「モデルとなる『明石』なる力士が複数存在していた」という説を述べている。
 
栃木県宇都宮市の[[蒲生神社]]では2008年から「初代横綱 明石志賀之助杯少年奉納相撲大会」を主宰している。
 
== 脚注 ==
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* [[横綱一覧]]
* [[大相撲力士一覧]]
* [[蒲生神社]] - 明石志賀之助を祭っており、境内には石碑も在る。
 
== 外部リンク ==
 
* [http://inoswim.hp.infoseek.co.jp/tallest.sumowrestler.ranking.htm 力士「長身」ランキング]
* [http://www.ne.jp/asahi/sensyo/ootaya/keisann.htm 尺貫法計算]
 
{{歴代横綱|初代}}