「ヴァン・ヘイレン」の版間の差分

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{{Infobox Musician | <!-- See Wikipedia:WikiProject Musicians -->
| Name = ヴァン・ヘイレン<br />Van Halen
| Img = Van Halen 2012.jpg
| Img_capt = [[フロリダ州]][[サンライズ (フロリダ州)|サンライズ]]公演(2012年4月)
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| Background = group_or_band
| Alias =
| Origin = {{USA}}<br />[[カリフォルニア州]] [[パサデナ (カリフォルニア州)|パサデナ]]
| Genre = [[ハードロック]]<br />[[ヘヴィメタル]]<br />[[グラム・メタル]]<br />[[LAメタル]]
| Years_active = [[1972年]] - 現在
| Label = [[ワーナー・ブラザース・レコード]] (1977-2002)<br />[[インタースコープ・レコード]] (2012- )
| Associated_acts =
| URL = [http://www.van-halen.com Van-Halen.com]
| Current_members = [[デイヴィッド・リー・ロス]] ([[ボーカル|Vo]])<br />[[エドワード・ヴァン・ヘイレン]] ([[リードギター|G]])<br />[[アレックス・ヴァン・ヘイレン]] ([[ドラムセット|Ds]])<br />[[ウルフギャング・ヴァン・ヘイレン|ウォルフガング・ヴァン・ヘイレン]] ([[エレクトリックベース|B]]))
| Past_members = [[マイケル・アンソニー]] (B)<br />[[サミー・ヘイガー]] (Vo/[[リズムギター|G]])<br />[[ゲイリー・シェローン]] (Vo)
}}
[[File:Van Halen logo.svg|thumb|rihgt|バンドのロゴ]]
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[[File:Van halen at La Canada High School 1976.jpg|thumb|right|300px|カナダ公演 (1976年)]]
バンドは[[パサデナ (カリフォルニア州)|パサデナ]]を中心に、[[ロサンゼルス]]や[[ハリウッド]]などのクラブでライヴを重ね、徐々に人気を集めていく。 この頃のレパートリーは、[[ディープ・パープル]]や[[キッス]]、[[ZZトップ]]、[[エアロスミス]]などのカヴァー曲を中心に、オリジナルを織り交ぜたものだった。
 
[[1976年]]、キッスの[[ジーン・シモンズ (ミュージシャン)|ジーン・シモンズ]]の資金援助を受け、デモテープを作るが、レコード会社は興味を示さなかった。[[1977年]]11月、レギュラー出演していたクラブに、[[ワーナー・ブラザース・レコード]]社長の[[モー・オースティン]]と、[[プロデューサー]]の[[テッド・テンプルマン]]が突然現れバンドに契約書を渡し、24時間以内の契約を迫ると、バンドはその場で契約を決めた。
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<ref>[http://www.universal-music.co.jp/van-halen/biography/ ヴァン・ヘイレンBIOGRAPHY] - UNIVERSAL MUSIC</ref>
* [[1978年]]1月、[[シングル]]「ユー・リアリー・ガット・ミー」([[キンクス]]のカヴァー曲)でデビュー。
: 2月、アルバム『[[炎の導火線]]』(原題:Van Halen)をリリース。 全米最高位19位。 瞬く間に150万枚を売り上げ、プラチナディスクを獲得する。現在1000万枚以上を売り上げる。
: 6月、初来日(詳細は後段参照)。他のミュージシャンの来日ツアーがキャンセルとなったことにより、デビュー後半年という異例の早さでの初来日となった。
* [[1979年]]4月、セカンド・アルバム『[[伝説の爆撃機]]』(原題:Van Halen II)をリリース。 全米最高位6位。 再びプラチナディスクを獲得。
: 9月、再来日公演。
* [[1980年]]4月、サード・アルバム『[[暗黒の掟]]』(原題:Women And Children First)をリリース。 全米最高位6位。 全曲オリジナル曲となる。
* [[1981年]]5月、4枚目のアルバム『[[戒厳令 (アルバム)|戒厳令]]』(原題:Fair Warning)をリリース。 全米最高位5位。 このアルバムから[[キーボード (楽器)|キーボード]]が導入される。
* [[1982年]]4月、5枚目のアルバム『[[ダイヴァー・ダウン]]』(原題:Diver Down)リリース。 全米最高3位。 先行シングル「[[オー・プリティ・ウーマン]]」のヒットに合わせて急遽制作されたアルバムで、半分近くがカヴァー曲。 また、ヴァン・ヘイレン兄弟の父親、[[ヤン・ヴァン・ヘイレン]]も[[クラリネット]]で参加している。
* [[1983年]]5月、当時の[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネス記録]]を塗り替える出演料で、[[ロサンゼルス]]近郊で開催された「[[USフェスティバル]]」に出演。
* [[1984年]]1月、6枚目のアルバム『[[1984 (アルバム)|1984]]』リリース。 全米最高2位。 ちなみにその当時の1位を守っていたのは、[[マイケル・ジャクソン]]の『[[スリラー (アルバム)|スリラー]]』で、エディが「[[今夜はビート・イット]]」にギタリストとして参加している。また、マイケルのツアーにも一部参加した。シングル「ジャンプ」は5週連続1位、「パナマ」「アイル・ウェイト」もトップ20ヒット。
 
=== デイヴィッドの脱退サミー・ヘイガー時代 ===
[[ファイル:SammyHagar.JPG|thumb|180px|サミー・ヘイガー(Vo)]]
* [[1985年]]7月頃、デイヴィッド・リー・ロスが脱退。 後任のヴォーカリストに元[[モントローズ (バンド)|モントローズ]]の[[サミー・ヘイガー]]を迎える。
* [[1986年]]3月、7枚目のアルバム『[[5150 (アルバム)|5150]]』リリース。 新生ヴァン・ヘイレンは多くの人に受け入れられ、全米最高1位を記録する。シングル「ホワイ・キャント・ディス・ビー・ラブ」がトップ3ヒット。
* [[1988年]]5月、8枚目のアルバム『[[OU812]]』リリース。 再び全米1位を記録する。
* [[1989年]]1月、10年ぶりとなる来日公演を行う。 東京・[[東京ドーム]]、大阪、名古屋、京都で6公演を行う。[[広島市|広島]]も予定していたが当日キャンセル。後日東京で追加公演を行った。
* [[1991年]]6月、9枚目のアルバム『[[F@U#C%K|F@U#C%K]]』(原題:For Unlawful Carnal Knowledge)リリース。 全米初登場1位を記録する。
* [[1993年]]2月、初のライヴ・アルバム『[[ライヴ:ライト・ヒア、ライト・ナウ]]』(原題:Live:Right Here, Right Now)リリース。 全米最高5位。
* [[1995年]]1月、10枚目のアルバム『[[バランス (ヴァン・ヘイレンのアルバム)|バランス]]』(原題:Balance)リリース。 前作に引き続き初登場1位を記録する。 結合双生児を模したジャケットの画像は、日本では自主規制により同じモデルが一人で写っている画像に差し替えられている。
* [[1995年]]10月〜11月、6年ぶりとなる来日公演を行う。 東京、大阪、福岡で7公演を行う。
* [[1996年]]5月、ヴァン・ヘイレン兄弟が参加した、映画『[[ツイスター (映画)|ツイスター]]』の[[サントラ]]がリリースされる。
 
=== 二度目のヴォーカル交代ゲイリー・シェローン時代  ===
[[ファイル:Gary Cherone-Extreme-2.jpg|thumb|160px|ゲイリー・シェローン(Vo)]]
*[[1996年]]6月、サミー・ヘイガーの脱退が伝えられる。 また、[[ベスト・アルバム]]用の新曲のために、デイヴィッド・リー・ロスが参加していることも伝えられる。なお、この頃には[[ミッチ・マロイ]]もサミー・ヘイガーの後任候補に挙がり、リハーサルやデモ録音を開始していたが、ロスの復帰の可能性があることを知り、マロイは身を引いた<ref>{{Cite web |url=http://ultimateclassicrock.com/van-halen-mitch-malloy-song/ |last=DeRiso |first=Nick |title=Lost Van Halen / Mitch Malloy Demo Released |publisher=Diffuser Network |work=ultimateclassicrock.com |date=2015-12-08 |accessdate=2015-12-28}}</ref>。
: 同年10月、ベスト・アルバム『[[グレイテスト・ヒッツ (ヴァン・ヘイレンのアルバム)|グレイテスト・ヒッツ]]』(原題:Best Of Volume 1)リリース。 18年の集大成であるとともに、10年ぶりにオリジナルメンバーでの新曲が含まれたアルバム。 しかしデイヴィッド・リー・ロスはバンドに戻らず、3代目ヴォーカリストは[[エクストリーム (バンド)|エクストリーム]]のゲイリー・シェローンと発表される。
* [[1998年]]3月、11枚目のアルバム『[[ヴァン・ヘイレンIII]]』リリース。 全米最高4位。
* [[1998年]]10月〜11月、3年ぶりとなる来日公演を行う。 広島、福岡、大阪、名古屋、岩手、東京・日本武道館、横浜で9公演を行う。
* [[1999年]]、レコーディング中にゲイリー・シェローン脱退。 ヴォーカリスト不在状態となる。その後、エディの[[癌]]、腰の手術などの影響で、バンドは休止状態となる。
 
===  サミーの復帰再び休止状態へ ===
[[File:VanHalenwithHagar.jpg|thumb|right|220px|2004年のグループショット]]
* [[2004年]]初頭、サミー・ヘイガーが電撃的に復帰。 6月から全米ツアーを開始し、8月には2枚組ベスト・アルバム『The Best Of Both Worlds』をリリースする。しかし、サミーとエディの関係は再び悪化して、アルバム作りが進まない状態に陥った<ref>[http://nme-jp.com/news/30042/ 元ヴァン・イレンのサミー・ヘイガー、バンドに戻りたいと勘違いされたくないと語る] - NME JAPAN</ref>。
* [[2006年]]マイケル・アンソニーが「[[BURRN!]]」4月号掲載のインタビューにおいてバンドが事実上の解散状態にあることを告白した。 またマイケル自身、2002年に行われたサミー・ヘイガーとデイヴィッド・リー・ロスによるカップリングツアー「SAM & DAVE」にヘイガーのバックバンドのメンバーとして参加したことを理由に解雇されていたこと、2004年の復活ツアーにおいても正式なメンバーではなく雇われメンバーだったこと等も告白している。
: 同年11月、新ベーシストとしてエディの息子、[[ウルフギャング・ヴァン・ヘイレン|ウルフギャング]] (Wolfgang Van Halen、当時15歳) の加入が発表される。当時はウルフガング表記だったが、2012年にメディアプレスはウルフギャングに統一された。
 
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=== スタジオ・アルバム ===
*[[炎の導火線]] - [[:en:Van Halen (album)|Van Halen]] (1978) 19位 10X10X[[ゴールドディスク|プラチナム]](US), 4X4Xプラチナム(Canada) 
*[[伝説の爆撃機]] - [[:en:Van Halen II|Van Halen II]] (1979) 6位 5X5Xプラチナム(US), 2X2Xプラチナム(Canada)
*[[暗黒の掟]] - [[:en:Women and Children First (album)|Women and Children First]] (1980) 6位 3X3Xプラチナム(US), 2X2Xプラチナム(Canada)
*[[戒厳令 (アルバム)|戒厳令]] - [[:en:Fair Warning|Fair Warning]] (1981) 5位 2X2Xプラチナム(US), プラチナム(Canada)
*[[ダイヴァー・ダウン]] - [[:en:Diver Down|Diver Down]] (1982) 3位 4X4Xプラチナム(US), プラチナム(Canada)
*[[1984 (アルバム)|1984]] - [[:en:1984 (Van Halen album)|1984]] (1984) 2位 10X10Xプラチナム(US), 5X5Xプラチナム(Canada)
*[[5150 (アルバム)|5150]] - [[:en:5150 (album)|5150]] (1986) 1位 6X6Xプラチナム(US), 3X3Xプラチナム(Canada)
*[[OU812]] - [[:en:OU812|OU812]] (1988) 1位 4X4Xプラチナム(US)
*[[F@U#C%K|F@U#C%K]] - [[:en:For Unlawful Carnal Knowledge|For Unlawful Carnal Knowledge]] (1991) 1位 3X3Xプラチナム(US), プラチナム(Canada)
*[[バランス (ヴァン・ヘイレンのアルバム)|バランス]] - [[:en:Balance (Van Halen album)|Balance]] (1995) 1位 3X3Xプラチナム(US), 3X3Xプラチナム(Canada)
*[[ヴァン・ヘイレンIII]] - [[:en:Van Halen III|Van Halen III]] (1998) 4位 [[ゴールドディスク|ゴールド]](US)
*[[ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース]] - [[:en:A Different Kind of Truth|A Different Kind of Truth]] (2012)全米2位 ゴールド(Canada)
 
=== ライヴ・アルバム ===
*[[ライヴ:ライト・ヒア、ライト・ナウ]] - [[:en:Live: Right Here, Right Now|Live:Right Here, Right Now]](1993) 5位 2X2Xプラチナム(US), ゴールド(Canada)
*[[ライヴ・イン・ジャパン (ヴァン・ヘイレンのアルバム)|ライヴ・イン・ジャパン]] - [[:en:Tokyo Dome Live in Concert|Tokyo Dome Live in Concert]](2015) 20位
 
=== ベスト・アルバム ===
*[[グレイテスト・ヒッツ (ヴァン・ヘイレンのアルバム)|グレイテスト・ヒッツ]] - [[:en:Best of Volume I|Best Of Volume 1]](1996) 1位 3X3Xプラチナム(US), 3X3Xプラチナム(Canada)
*ヴェリー・ベスト・オブ・ヴァン・ヘイレン - [[:en:The Best of Both Worlds (Van Halen album)|The Best Of Both Worlds]](2004) 3位 プラチナム(US)
 
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== 外部リンク ==
{{commonscatCommonscat|Van Halen}}
* [http://www.van-halen.com/ The Official Van Halen Web Site] {{en icon}}
* [http://wmg.jp/artist/vanhalen/index.html VAN HALEN / ヴァン・ヘイレン|Warner Music Japan]