「テオドール・ジェリコー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
MomijiRoBot (会話 | 投稿記録)
m Bot: </br> → <br /> ∵Tag with incorrect syntax: Check Wikipedia #2
8行目:
| birthname =
| birthdate = {{birth date|1791|9|26}}
| location = {{FRA1791}} [[ルーアン]]
| deathdate = {{death date and age|1824|1|26|1791|9|26}}
| deathplace = {{FRA1814}} [[パリ]]
| nationality =
| field =
24行目:
}}
[[ファイル:Jean Louis Théodore Géricault 001.jpg|right|thumb|200px|エプソムの競馬]]
'''テオドールジェリコー'''(Théodore Géricault, [[1791年]][[9月26日]] - [[1824年]][[1月26日]])は[[19世紀]]前半に活動した[[フランス]]の画家。同時代に起きた生々しい事件を題材とした『[[メデューズ号の筏]](いかだ)』が代表作である。彼の作品は[[ウジェーヌ・ドラクロワ|ドラクロワ]]などにも影響を与え、[[ロマン派]]絵画の先駆者と見なされるが、画業半ばの32歳で早世している。
 
== 生涯 ==
43行目:
フランスへ帰国後、1819年のサロンに問題作『メデューズ号の筏』を出品し、賛否両論を巻き起こした(この作品については後述)。
 
1820年から1822年には[[イギリス]]に滞在し、1821年には代表作の1つ『エプソムの競馬』を描いている。駆ける馬の一瞬の姿を画面に描きとめたこの作品は、印象派の[[エドガー・ドガ|ドガ]]を先取りするものと評されている。フランスへ帰国後、1822年から1823年にかけて精神障害者をモデルとした人物画連作を描いている。しかし、1823年には落馬や馬車の事故などがもとで持病の[[脊椎結核]]が悪化し、1824年1月、33年満たない生涯を閉じ死去した。死の間際に発した言葉は「まだ、何もしていない」だったと言う。
 
== メデューズ号の筏 ==
75行目:
 
== 参考文献 ==
* [[富永惣一]]解説『ファブリ世界名画集 86 ジェリコー』、平凡社、1972
 
 
{{DEFAULTSORT:しえりこ ておとおる}}
81 ⟶ 82行目:
[[Category:ロマン派の画家]]
[[Category:19世紀の美術家]]
[[Category:結核で死亡した人物]]
[[Category:ルーアン出身の人物]]
[[Category:1791年生]]